この震災から今年で30年を迎えるにあたり、各界の著名人が当時の思いを語る「アノ日、アノ時」企画が展開されている
今回は、元オリックス投手で現デイリースポーツ評論家の佐藤義則氏が、自身の経験と震災に対する思いを語った
震災の記憶と現役時代
30年という歳月を感じさせる佐藤氏は、「もうそんなにたつのかって感じつい最近のことのように感じるけど」と振り返る
震災当日は海外から戻ったばかりで、大阪市内のホテルで被災した
幸いなことに家族の無事を確保したものの、自宅に戻るのは1週間後のこととなった
振り返ると、その後の生活で多くのチームメートが住宅を失ったり、車中での避難を余儀なくされていたという
選手たちの結束
震災後、選手たちは「余震のある神戸よりは安全」との理由から、2月の宮古島キャンプに参加した4月1日にはグリーンスタジアム神戸(現ほっともっとフィールド神戸)でロッテとの開幕戦を行った
この時、街には震災の爪痕が残っており、多くの人々が避難所で暮らしていたにもかかわらず、スタンドには3万人の観衆が集まった
開幕投手として7回2失点(自責1)の力投を見せ、チームは勝利を収めた
復興の象徴的存在としての活躍
オリックスはそのシーズンを「がんばろう神戸」を合言葉に戦い、6月には首位に立った最終的には2位のロッテに12ゲーム差をつけて、11年ぶりのリーグ優勝を果たした
佐藤氏もまた、8月26日の近鉄戦でNPB史上最年長記録(当時)としてノーヒットノーランを達成し、球史に名を刻んだ
信念と今を生きる
震災を経て、佐藤氏はプロとして勝つことの重要性を強調する現役生活で3度も地震を経験し、そのたびに彼の思いや行動は大きく変わった
「プロは勝ってナンボの世界
自分のために頑張って勝つことが一番
それによって見ている人を励ますことができればいい」と語り、勝負師としてのこだわりを示した
佐藤義則氏は、895年に阪急(現オリックス)にドラフト1位で入団し、最多勝、最優秀防御率、新人王のタイトルを獲得
1998年に現役を引退後は、阪神、日本ハム、楽天などで投手コーチとしての経験を積み、現在はデイリースポーツの評論家として活躍を続けている
この記事を通じて、震災から30年を迎える佐藤氏の体験と思いがしっかりと伝わりました。スポーツが人々に希望を与える力を持つことは、プロ野球界にとっても重要なメッセージです。震災を経て、選手個々の意義が再確認されている様子が印象的でした。
キーワード解説
- ノーヒットノーランとは?:投手が試合中に相手チームから安打を許さず、無失点に抑える成績のこと。
- 防御率とは?:投手の成績を示す指標で、1試合あたりに許す点数を表した数値。低いほど優秀とされる。
- がんばろう神戸とは?:阪神・淡路大震災からの復興を願うスローガン。地域の人々が団結して復興に励む姿勢を象徴する。