この快挙は、両リーグ史上最速での優勝としても記録され、かつて「ダメ虎」と呼ばれた阪神の暗黒時代は見る影もありません
しかし、その暗黒の時期にも一瞬の輝きを放った年がありました
それが1992年の優勝争いです
この年の阪神タイガースは、チーム防御率2.90という素晴らしい成績を残した投手陣が印象的でした
1992年の投手陣 - 田村勤
1992年の阪神タイガース投手陣の中で、真っ先に名前が挙がるのは田村勤です彼は左投左打のピッチャーで、177cm、76kgの体格を持っています
出生は1965年8月18日で、島田高から駒沢大学を経て、本田技研和光でプロの道を歩みました
1990年のドラフトで阪神から4位指名を受けて入団しました
田村は入団1年目から50試合に登板し、3勝3敗、4セーブ、防御率3.77を記録しましたが、2年目となる1992年には神がかった成績を残します
特に開幕2戦目のヤクルトスワローズ戦では9回から2イニングを投げて勝利投手となり、6月までに5勝と14セーブをマークするなどの活躍を見せました
しかし、左肘の故障に見舞われ、その後のシーズンは離脱を余儀なくされました
それでもこの年の前半だけで24試合に登板し、5勝1敗、14セーブ、防御率1.10を記録し、41回投げて53三振を奪う奪三振率11.63という驚異的な数字を残しました
田村の特徴は独特なサイドスローから繰り出される、伸び上がるストレートとスライダーでした
“マウンドに立つだけで球場の空気が変わる”と言われたその投球は、まさに圧巻でした
1992年後半、抑え不在で苦しんだ阪神の投手陣に、もし田村が健康であれば、ペナントレースの結果はどのように変わっていたのか
ファンの間でその可能性は語り草となっています
阪神タイガースが2025年にリーグ優勝を果たしたことは、ファンにとって感慨深い出来事ですが、過去の名投手、田村勤の活躍も含め、チームの歴史によって支えられていることが分かります。彼のような優れた選手がいてこその勝利でもあるため、今後のチーム構成にも注目が集まります。
キーワード解説
- 防御率とは? 投手が失点をどれだけ出したかを示す指標で、通常は9イニング(1試合)あたりの得点数で計算されます。
- 奪三振率とは? 投手がどれだけ三振を奪ったかを示す指標で、投球回数に対する三振の数で表します。
- サイドスローとは? ピッチャーの投球スタイルの一つで、腕を横に振ってボールを投げる方法です。

