ホークス一筋16年の湯上谷さん、高校時代からの軌跡を振り返る

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ホークス一筋16年の湯上谷竑志氏、プロ野球人生を振り返る

ホークス一筋で16年間の現役生活を送った湯上谷竑志さん(59)は、その道のりにおいて数々の栄光と悔しさを胸に刻んでいる

彼は、石川・星稜高校時代に春夏を通じて甲子園に4度出場し、将来のプロ野球選手としての期待を寄せられる存在となった

湯上谷さんは、高校卒業後にドラフト2位で指名を受けた南海(現ソフトバンク)に入団

彼の強みは、俊足と広い守備範囲であり、内外野を自在に守るユーティリティープレーヤーとして存在感を発揮した

星稜の監督として多くのプロ選手を育てた山下智茂氏は、湯上谷さんを「プロに行ける選手」と評した

湯上谷さんは、冷静に自身の進路を考え、甲子園常連校である星稜に進むことを選択した

「野球のレベルから言うと、当時の富山はちょっと低いかなと思ったので、有名な星稜に行くほうが良いと考えました」と振り返る

入学当初の印象について、山下氏は彼が「蝶のように走った」と取材に応じた際に語った

運動能力の高さは、湯上谷さん自身の意識にも根付いており、「1番か2番ぐらいに足が速かった」と述べている

彼はまた、当時の監督から「センスがある」と評価される新人として、82年の夏の甲子園に出場した

当時の甲子園は、急激に人気を博しており、特に早稲田実業の荒木大輔投手(ヤクルト)の存在は、注目を集めていた

湯上谷さんは、スタメン出場しながらも、そのレベルの高さに感慨深いものを感じたと語る

「一打席だけで終わったけれど、相手投手の凄さを感じた」と彼の思い出の一つとなっている

甲子園出場は3年の夏までで、結果としては1勝のみであったことについても振り返り、「やはり甲子園に行きたかったという気持ちが強かったが、勝つためのレベルには達していなかった」と悔しさを口にした

湯上谷さんは、プロ入り以降も俊足と守備力を生かし、内外野を守るユーティリティープレーヤーとして、通算1242試合に出場

プロ生活を経て、現在はもみほぐし店でセラピストとして新たな道を歩んでいる

湯上谷竑志さんの高校時代のエピソードは、彼が如何にしてプロの世界に足を踏み入れたのかを物語っています。特に彼の冷静さや俊足は、将来の選手としての実力を感じさせます。甲子園での経験が豊富でありながら、悔いも残した彼の思いは、その後のプロ生活にも影響を与えたのでしょう。
キーワード解説

  • ユーティリティープレーヤーとは?: 特定のポジションに限られず、複数のポジションを守れる選手のことを指します。チームにおいて多様な役割を担うことが期待されています。
  • 甲子園とは?: 日本の高校野球の全国大会で、春と夏の2回行われ、全国から選ばれた高校チームが戦います。歴史的にも多くのスター選手を生み出してきた舞台です。

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