髙津臣吾が語るメジャー挑戦と指導者としての学び

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メジャーリーグベースボール(MLB)での挑戦とは、決して簡単な道のりではない

髙津臣吾氏はその厳しさを身をもって体験し、さらなる成長への契機を得た

MLBの第13回目の連載は、髙津氏のクローザーとしての活躍やその後の指導者としての道筋を追いかける

2004年の衝撃的なデビュー

髙津氏がメジャーで初めて登板した試合は、2004年6月6日のシアトル・マリナーズ戦

この試合で彼は8回に登場し、わずか7球で三者凡退を達成

特に130キロ以下のスローボールをヒットしたバッターは驚愕を隠せなかった

しかし、9回裏でのリリーフピッチャーの失敗により、勝利は逃した

クローザー起用の経緯

髙津氏は、6月12日のアトランタ・ブレーブス戦からクローザーとして起用され、その試合で初セーブを記録した

シンカーというボールは、髙津氏が野村克也監督から学び取った独特の投球だった

このシンカーは、重力に逆らうように落ちる特性を持っており、打者にとって非常に打ちにくいボールだ

ピッチング秘訣と体力の必要性

髙津氏は、「シンカーを投げるのは体力を非常に使う

球速を落とすことで楽チンだと思われがちだが、実は正しいフォームが重要」と語った

これは、体全体を駆使する必要があるため、疲労感を増す要因でもある

クローザーとしての成功と苦難
2004年のシーズンを通して、彼は6勝4敗、防御率2.31、19セーブという成績を収め、クローザーとしての地位を確立した

しかし翌年、被弾が続き、その座を明け渡すことになり、最終的にはホワイトソックスからリリースされた

古巣ヤクルトへの帰還とその後

その後ニューヨーク・メッツと契約し、苦しんだシーズンを振り返る髙津氏は、多くのことを学んだと語る

「相手は自分を研究してきているのが分かった

その上でのプレーは難しい」と反省の意を込めた

彼のメジャーリーグでの経験は、ただの選手生活ではなく、今後の指導者としてのキャリアにも大きな影響を与えたことであろう

髙津臣吾氏のメジャーリーグでの挑戦と、その後の経験を通して得た教訓は、選手としてだけでなく、指導者としても重要なものとなった。彼の言葉には、ピッチングの奥深さや、メジャーリーグの厳しさを知るヒントが詰まっている。
キーワード解説

  • クローザーとは?
  • シンカーとは?
  • セーブとは?

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