巨人の駒田徳広三軍監督が退団、FA宣言からの歴史を振り返る

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【赤ペン!】巨人における退団者が相次ぐ中、駒田徳広三軍監督(63)がユニフォームを脱ぐ決断を下した

駒田氏は、現役時代に13本の満塁本塁打を放ち、「満塁男」として知られたスラッガーである

彼は1993年のオフ、長嶋茂雄監督の第2次監督時代に最初にフリーエージェント(FA)宣言をした選手として巨人を去った

駒田氏の退団のきっかけは、中畑清打撃コーチとの確執にあった

中畑コーチは、駒田氏の初球を簡単に見逃す姿勢や、三振後にベンチへ早く戻る態度を問題視し、「監督にやる気が伝わらないぞ」と叱責した

しかし、駒田氏は初球見逃しについては「相手バッテリーの狙いをかく乱するため」と内心での意図を明かしている

また、三振後の行動に対しては、「悔しさを見せることに意味があるのか」と反発

こうした意見の食い違いから両者の関係は悪化し、長嶋監督は駒田氏と同じ一塁手の落合博満をFAで獲得する決断を下した

この状況に、駒田氏は「自分もFA宣言して巨人を出るしかない」との考えに至り、藤田元司前監督に相談した

藤田氏は横浜(現DeNA)の監督である近藤昭仁氏と連絡を取り、双方の信頼関係が影響し、駒田氏の移籍が決まった

最終的に駒田氏は長嶋監督に直接、横浜へFA移籍する意志を伝えた

この際、長嶋監督は「自分の道を自分で決めたんだから、頑張りなさい」と声をかけ、駒田氏はその励ましに救われたと振り返っている

駒田氏は2001年に横浜で2000安打を達成した

巨人での11年間で1029安打、横浜での7年間で971安打を記録し、名球会のハワイ旅行での食事の際には「自分の中で達成感があった」との思いを語った

そして2021年オフ、駒田氏は29年ぶりに巨人に復帰し、三軍監督として選手たちに指導を行っている

長嶋監督の追悼試合が行われた8月16日、三軍と慶大の交流戦では背番号3のユニフォームを着て指揮を執り、選手たちには大きな思い出となる経験を与えたが、駒田氏自身にも感慨深いものであったに違いない

駒田氏の退団については、選手とコーチ間のコミュニケーションの重要性を再認識させられます。特に中畑コーチとの確執が退団のきっかけとなったことは、指導者と選手の信頼関係が如何に重要であるかを物語っています。また、長嶋監督からの励ましの言葉も、選手の心に寄り添う指導者の姿勢を感じさせます。駒田氏が横浜での活躍を経て再び巨人に戻る姿勢も、プロ野球界の厳しさと温かさを共存させる要素であると感じました。
キーワード解説

  • フリーエージェント(FA)とは?:FAは、選手が一定の条件を満たすと、他のチームと契約交渉を行うことができる制度のことです。
  • スラッガーとは?:スラッガーは、ホームランや長打を多く打つ選手のことを指します。
  • 中畑コーチとは?:中畑清は、プロ野球選手として活躍し、後に監督やコーチとしても知られる人物です。

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