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山田喜久夫氏、伝説の「10・8決戦」を振り返る

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中日、広島で主にリリーフとして活躍した山田喜久夫さん(53歳)

彼は1994年に巨人と中日がリーグ優勝を争った伝説の「10・8決戦」で登板した左腕として知られています

今回、名古屋市内で経営しているわらび餅店の話や、あの試合のエピソード、さらにはプロ野球選手のセカンドキャリアとしての和菓子界への転身について詳しく聞きました

「10・8決戦」との出会い

「10・8決戦」は1994年10月8日に行われた試合で、中日と巨人が同率首位で迎えた大一番です

山田選手はこの試合で悔しい思いを経験しました

試合は2対5で3点ビハインドの場面で山田選手がマウンドに上がりました

彼は前年まで2年連続で40試合以上登板し、「左キラー」として知られていた存在でした

松井秀喜選手への一球

山田選手が登板し、迎えたのは巨人の主砲、松井秀喜選手

1ストライク2ボールのカウントから、彼が投じた4球目のカーブが高めに入ると、松井選手はそれを狙い打ち、ライトスタンドへのソロホームランを放ちました

山田選手はたった4球でマウンドを降り、その試合は3対6で敗北しました

彼は「大一番で相手を勢いづける一発を浴びた」として、自身の責任感を語りました

厳しいヤジとの戦い

試合後、ファンからのヤジは凄まじいものでした

特にナゴヤ球場ではブルペンからの距離が近く、準備中も心無い言葉が降り注ぐことが多かったといいます

「いつまで現役やっとんじゃ!」という声が特に印象に残っています

山田選手はその経験を無駄にせず、松井選手に打たれた一球をきっかけにシンカーやシュートを磨き、左打者を抑えることに注力しました

この努力が後に実を結び、松井選手にはノーヒットに抑えることができたと語っています

プロ野球選手のセカンドキャリア

山田選手のように、プロ野球選手のセカンドキャリアとして和菓子業界に進出するケースは珍しいですが、彼自身は充実した日々を送っているようです

選手としての経験や人間関係を生かし、新たな挑戦を楽しんでいると語っています

山田喜久夫氏のインタビューを通じて、彼の野球選手としての成長と苦悩が見えてきました。特に「10・8決戦」での経験は、選手人格や投手技術において大きな影響を与えました。彼がシンカーなどの新しい球種を習得し、再起を図った姿は、多くのスポーツ選手にとって参考になるでしょう。
キーワード解説

  • 左キラーとは?:主に左打者に対して優れた成績を残す投手のことを指します。山田選手もこの役割を果たしていました。
  • シンカーとは?:ボールが投げられた後に、打者の手元で急に軌道が変わる球種の一つです。これにより打者を打ち取ることが可能になります。
  • シュートとは?:ボールが放たれた後、打者に向かって内側に曲がる球種のことです。特に左打者に対して有効とされています。

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