▶スクラップから発掘された〝城島少年〟
記憶の中には、昨日の出来事よりも、数十年前の特定の瞬間が鮮明に立ち現れることがある1994年12月3日、プロ野球ダイエー(現ソフトバンク)ホークスの監督に就任した王貞治氏と握手を交わしている少年がいた
彼の名は城島健司
当時、大分・別府大付(現明豊)高からドラフト1位での入団が決まった逸材だ
城島選手は高校通算70本塁打を記録した捕手であり、当初は駒大に進学する意向を示していた
しかし、ホークスからの指名が濃厚との情報が広がる中で、高校側はプロ入りを拒否する姿勢を貫いていた
当時、ホークスの担当記者として近くで取材を行っていた私にとって、城島選手の実家に向かうことは必然となった
長崎県佐世保市にある彼の実家では、マージャン店を営む父、昭司さんが「プロには行かない」という固い意志を示していたが、新人記者である私に対しては暖かく接してくれた
昭司さんからは「西日本新聞には縁がある」との話が印象的だった
城島選手は小学生の時に本紙地域版の「私の夢」に掲載されていたのだ
その中で「王さんのように三冠王になりたい」と夢を語っていた
城島選手は中学3年時に王氏からの指導を受け、彼に褒められたこともあった
王氏が直接「出馬」し、獲得を目指していたことがプロ入りのきっかけとなった
王氏と城島選手の関係は、今岡のプロ野球の歴史に残る強い絆を示している
時は流れ、城島選手は49歳となり、チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)として球団強化の先頭に立つ立場を持つことになった
10月のドラフトでは、米スタンフォード大の佐々木麟太郎選手を1位指名し、DeNAとの競合の末、見事に当たりくじを引き当てた
その瞬間、王氏と城島選手の間で交わされる握手は、心温まる美しい画面であった
城島選手は冗談を交えつつ、「佐々木選手が入ってくれれば、会長の寿命が10年延びると思う」とコメントし、その関係の深さを感じさせた
81歳の昭司さんに電話をかけたところ、彼は「健司は王さんの近くで今も働かせてもらっていて、ありがたい」と感謝の意を表していた
城島選手の熱い夢は、これからも続いていくことだろう
記事全体を通して、城島健司選手の成長と彼を取り巻く人々の関係性が深く描かれています。特に、王貞治氏との絆は非常に印象的で、双方の成功につながっていることが分かります。
キーワード解説
- チーフ・ベースボール・オフィサー(CBO)とは?プロ野球チームの選手スカウトやチーム戦略を統括する役職で、球団の強化を担当する重要な役割を果たします。
- ドラフトとは?プロ野球の新たな選手をチームが選ぶための制度で、各球団が希望選手を指名して所属させることができます。
- 三冠王とは?プロ野球選手がシーズン中に打率、本塁打、打点という3つのカテゴリでリーグ一位を獲得することを指し、非常に名誉な称号です。

