「武田一浩氏、中日への移籍決断の舞台裏を語る」

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 野球解説者の武田一浩氏(60)が、自身のYouTubeチャンネル「武田一浩チャンネル」を更新し、プロ野球界での自身の移籍体験を明かした

特に、中日ドラゴンズへの移籍に至る経緯について明大の先輩である星野仙一監督との関わりを中心に語った

彼は、1995年オフに日本ハムファイターズから福岡ダイエーホークス(現・ソフトバンクホークス)へのトレードが決まる経緯を振り返り、星野監督の強い勧誘が決断に影響したことを示唆している

 武田氏は、プロ入り当初の1995年に日本ハムからダイエーへのトレードが実現し、その後頼まれて行くことになった中日への移籍について語った

このトレード交渉の際、中日は当初行き先の候補に上がっていたが、最終的には日本ハム側の事情により実現しなかった

この背景には、星野監督のお膳立てがあったとされる

 ダイエーでのキャリアは思わぬ展開を迎える

特に、武田氏は1998年に13勝を挙げリーグ最多勝を獲得するなど、エースとしての地位を築いた

しかし、その後、親会社の経営難などが影響しダイエー球団からのFA権行使が現実味を帯びてくる

さらに、当時は小久保や井口、城島ら若手選手の台頭もあり、未来への期待感が増していた

 FA交渉が解禁された瞬間に星野監督からの電話が入り、「お前、FAだろ?」と詰め寄られたという

武田氏は「まだ決めていません」と答えたが、星野監督からの一言「いいから来い!」が心に響いたとのこと

この強い口調による勧誘が、武田氏の心を動かし、最終的に中日への移籍を決断する要因となった

 また、巨人からの誘いもあったが、長嶋茂雄監督との食事は正に接待そのものであり、星野監督の直球勝負と対照的だった

武田氏は当時の心境を振り返り、中日移籍は恩義を感じている星野監督への義理であったと述懐した

そして、移籍1年目には9勝を挙げ、星野監督の胴上げに貢献する結果となった

奇しくもその日本シリーズの相手はダイエーであった

この記事を通じて、武田氏のプロ野球選手としての経験を深く知ることができる。星野監督との関係や、他球団との接触についても触れられており、野球ファンにとって興味深い内容である。特に、選手が移籍をどう考えているのかがよく分かる。
キーワード解説

  • FA権とは?
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  • 日本シリーズとは?
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