阪神タイガース史上初の日本一を導いた吉田義男監督が91歳で死去

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プロ野球阪神タイガースの元監督、吉田義男氏が、2025年2月3日午前5時16分に脳梗塞のため兵庫・西宮市の病院で亡くなった

享年91歳であった

吉田氏は阪神タイガースを監督として初めて日本一に導いた名監督として知られ、チーム強化に尽力したことで多くのファンから支持を受けていた

盟友の訃報に驚く元阪神球団社長

吉田氏の死去に対し、元阪神球団社長の三好一彦氏(94)は「びっくりして、今は気持ちの整理がついていない」と悲しみを隠せなかった

二人は学生時代からの友人であり、阪神タイガースを強くするために共に戦った盟友であった

学生時代からの関係

三好氏は神戸大の主将として、吉田氏は立命大でプレーしており、双方の出身校で交流を深めていた

1984年、安藤統男監督が退任した際、吉田氏を新監督に招くために三好氏が動き、吉田氏を口説き落とした

この際、吉田氏が監督を受諾する兵器が三好氏のバックアップであったことが伝えられている

1985年の成功と苦難を共に

吉田監督と三好氏は、85年に21年ぶりのリーグ優勝を達成し、続いて球団初の日本一を成し遂げた

特に、日航機墜落事故によって球団社長を失いながらもチームは勝ち進むなど、苦難を乗り越えたエピソードが印象的である

97年には、阪神淡路大震災後に吉田氏が3度目の監督を引き受けた際にも、三好氏が球団社長として彼を支え続けた

吉田氏の功績と今後の影響
三好氏は「これからもずっと、タイガースのことを思ってくれていると思います」と述べ、吉田氏の功績をしのんだ

双方の関係は清濁を併せのむ固いものであり、阪神タイガースの歴史に大きな足跡を残した

吉田義男氏の逝去は日本のプロ野球界にとって大きな損失です。彼が監督として成し遂げた業績やチームへの愛情は、多くのファンにとって記憶に残ることでしょう。盟友の三好氏と築いた関係の深さも印象的で、彼の存在が阪神タイガースに与えた影響は計り知れません。
キーワード解説

  • 脳梗塞とは?脳の血管が詰まることによって脳細胞が損傷し、脳の機能に影響を与える病気です。
  • 日本一とは?プロ野球リーグにおいて、全チームの中で最も優れた成績を収めたチームに与えられる称号です。
  • 盟友とは?深い友情で結ばれた友人や仲間のことを指します。
  • リーグ優勝とは?特定のリーグ内で最も多くの勝利を収めたチームに与えられるタイトルです。
  • 阪神淡路大震災とは?1995年に発生した大規模な地震で、阪神地域で大きな被害をもたらしました。

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