阪神タイガースの名遊撃手、吉田義男さん死去 91歳

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プロ野球阪神タイガースで名遊撃手として活躍し、1985年には球団初の日本一に導いた吉田義男さんが、2025年2月3日午前5時16分に脳梗塞のため亡くなりました

享年91歳

吉田さんの死去は阪神タイガースが4日に正式に発表しました

吉田さんは現役時代、華麗な守備から「牛若丸」と称され、遊撃手として歴代最多の9度のベストナインに選出された名選手です

引退後は3期にわたり阪神の監督を務め、「ヨッさん」の愛称で親しまれました

彼の背番号「23」は、1987年に永久欠番に指定されています

現役時代の功績

吉田さんは1950年、高校2年生で夏の甲子園に出場

続いて立命館大学に進学し、1年生からレギュラーとして活躍しましたが、1953年には中退し、阪神タイガースに入団

入団1年目から遊撃手のポジションを確保し、119安打を放つなど打撃でも存在感を示しました

監督としての成功

引退後は解説者として活動した後、1975年に阪神監督に就任

その後、1985年に21年ぶりのセ・リーグ制覇を達成し、日本シリーズでも西武に勝利して球団初の日本一に導きました

吉田監督時代にはランディ・バースや掛布雅之などのスター選手が活躍し、阪神タイガースの強力打線を形成しました

フランスでの野球振興

1987年に退任後、フランスに渡り、現地の野球振興に尽力

フランスの監督(1990-1995年)としても活躍し、92年には野球殿堂入りを果たしました

また、2010年には甲子園歴史館の運営会議顧問に就任し、野球の普及活動に携わりました

思い出の言葉
吉田さんの存在は、阪神タイガースファンだけでなく、野球界全体に影響を与えました

彼は「タイガース愛」を貫いた生涯を通じて、多くの人々に記憶されることでしょう

吉田義男さんの死去は、多くの野球ファンにとって大きな衝撃でした。彼の華麗なプレーや監督業での成果は、長年にわたり阪神タイガースを支え、ファンに愛され続けました。今後もその功績は歴史に残り、語り継がれていくことでしょう。
キーワード解説

  • 脳梗塞とは?:脳内の血流が途絶えることで引き起こされる病気で、脳の細胞が死んでしまうと重篤な障害が起こることもある。
  • ベストナインとは?:プロ野球において、その年の各ポジションの最も優れた選手を選出する表彰制度。
  • 永久欠番とは?:特定の選手が着用した背番号を、球団が今後永遠に使わないことを決定した番号。

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