彼はプロ入り13年目のこの年、6月に南海から古巣・阪神に復帰を果たしましたが、8登板で1勝1敗という結果に終わりました
復帰後すぐに、安藤統男監督から1軍投手コーチ補佐としてのオファーを受け、それを承諾することによって、選手としてのキャリアに一つの区切りをつけることとなりました
復帰と初登板の思い出
上田氏は復帰後のシーズン中に、いくつかの悩みを抱えながらも、自らのピッチングに情熱を燃やしました特に7月10日、横浜スタジアムでの大洋戦では、7番打者からの一発を受け、心に残る衝撃を覚えたといいます
この出来事が、彼の心境にどのような影響を与えたのか、一つの問いとして残ります
背番号と復帰戦
復帰した上田氏の背番号は「15」で、南海時代の番号と同じでしたこの背番号に関しては、彼自身の気持ちが込められており、「何番でも構わない」と言いながらも、その後輩への配慮が伝わってきます
6月22日のヤクルト戦では復帰後初登板を果たし、無失点に抑える好投を見せ、チームも勝利を収めました
これにより、阪神は4連勝を達成し、その日から連勝を続けました
甲子園の歓声
7月2日の巨人戦では、再度登板チャンスが巡ってきましたこの試合では、甲子園のファンからの大歓声が彼を迎えました
上田氏は、外角へのシュートで代打のゲーリー・トマソンを三振に仕留め、1/3回無失点という結果を残しました
「ピッチャーをやっていて、本当に良かった」と彼が感じた瞬間でした
阪神はこの試合も勝利し、連勝記録は11に達しました
現役引退への道
こうして上田氏は、感動的な復帰を果たしながらも、実はペナントレース中に「やめようと思った時があった」とも明かしています選手としての迷いや苦悩を経て、彼は最終的に引退を選ぶこととなりました
上田氏の現役生活は、数々の瞬間の積み重ねで形作られており、その全てが彼の野球人生を彩る重要な要素になっています
上田二朗氏の現役引退までの軌跡は、野球界における多くのファンにとって特別な思い出です。特に彼の復帰時の華やかなフィナーレは、観客にとってもエモーショナルな瞬間となりました。プロとしての苦悩や喜びを含めた彼の物語は、今なお多くの人々の心に刻まれています。
ネットの反応
コメントでは、阪神タイガースの上田投手に対するファンの熱い思い出が綴られています
特に彼がブルペンで投球練習をしている時にスタンドからの歓声があったことや、甲子園での感動的な瞬間が印象に残っているファンが多いです
このような経験は、今の甲子園では味わえないものとされていて、過去の試合の素晴らしさを語る場面が目立ちます
また、1973年の試合に関する懐かしい記憶を持つファンもおり、勝利のチャンスを逃したことへの悔しさや、もしその試合を勝っていたら阪神の歴史が変わっていたかもしれないという意見も寄せられています
さらに、上田投手の特徴的なアンダースローについて、その投球スタイルが選手寿命に寄与するかもしれないという意見もあります
彼のガッツポーズや、トマソンとの対決に対する熱意もファンを惹きつけています
そして、野手や他の選手との関係や、彼の球歴に関するコメントもあり、阪神タイガースにおける選手たちの波乱万丈な人生に共感する意見が多く見られます
これらのコメントは上田投手への敬意を表し、その存在感を改めて確認するものであり、阪神ファンの思いを反映しています
ネットコメントを一部抜粋
あの時は、ホント胸が熱くなりました。
今の甲子園では味わえないモノが有った。
あの年1973年タイガースが優勝して居たら、暗黒の時代は来なかったかもな。
トマソンを三振斬りにした後のガッツポーズは二朗さんには珍しいアクション。
懐かしいお名前が並んでますね。
キーワード解説
- アンダースローとは?
- 連勝とは?
- リリーフとは?

