阪神時代の偉大な投手ジーン・バッキーさんの思い出を甲子園歴史館に寄贈

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プロ野球阪神タイガースで通算100勝を達成し、外国人選手初の沢村賞を受賞した名投手ジーン・バッキーさんの記念品が、このほど甲子園歴史館に寄贈され、60年以上の歳月を経て再び日の目を浴びることとなった

バッキーさんは2017年に82歳で他界し、遺族が球団90周年を記念して寄贈した

寄贈された品には、思い出の記念盾や写真などが含まれ、現在は甲子園球場(兵庫県西宮市)の隣接施設で保存されている

バッキーさんは「バッキースマイル」と呼ばれるその愛らしい笑顔でファンに親しまれ、特に子供たちに対する情熱は非常に高かったと言われている

バッキーさんの家族が来日

今回、来日したのはバッキーさんの子供5人のうち長女のリタさん(62)、二女のミッシェルさん(58)、三女のスザンヌさん(56)、四女のアンドレアさん(52)の4姉妹を含む10人の家族

リタさんは、「いろんなことを覚えているので感慨深い」とコメントした

彼女にとって日本での思い出は特別なものであり、父の偉大さを実感したのは、1980年代前半の来日時の映像を見てからだという

バッキーさんのプロ野球キャリア

バッキーさんは1962年シーズンの途中に阪神にテスト入団し、1964年には29勝9敗を記録してリーグ優勝に貢献した

この年、最多勝や最優秀防御率のタイトルを受賞し、外国人選手として初めての沢村賞を受賞した

さらには1965年に甲子園でノーヒットノーランを達成し、1968年には通算100勝を達成するなど、日本プロ野球界に層的な影響を与えた

晩年と家族の絆

引退後、バッキーさんは米国で教師や牧場経営を行い、家族との関係も大切にした

特に、自身の職業倫理を守る厳格な姿勢が、家族にしっかりと受け継がれたという

リタさんは、「例えば、日本では赤信号は絶対に守るといった姿勢を父から学んだ」と語り、いかに厳格でありながらも、友人たちには選手時代の話を楽しそうに話していたという

野球の情熱は次世代へ
バッキーさんの野球への情熱は、孫世代にも引き継がれている

アンドレアさんの長男、グラントさん(13)は祖父の影響を受けて野球を始めており、背番号はバッキーさんが着用していた「4」を選んでいる

「日本でもいつかプレーしてみたい」と語るグラントさんの姿には、バッキーさんの遺志が感じ取れる

ジーン・バッキーさんの記念品が甲子園歴史館に寄贈されることで、彼の偉大な業績が再度認識される良い機会となった。家族が寄贈に関わることで、彼の思い出が生き続けることも象徴的だ。特に次世代への影響は、バッキーさんの野球への情熱が如何に強かったかを示している。
キーワード解説

  • 沢村賞とは?:日本プロ野球において最も優れた投手に贈られる賞で、投手の成績を基にした厳正な選考を経て決定される。
  • ノーヒットノーランとは?:試合中に相手チームに一安打も許さずに試合を完投する成績で、非常に珍しい記録となる。
  • 職業倫理とは?:仕事をする上で守るべき規範や価値観のことで、誠実さや責任感が求められる。

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