それは1999年9月25日に福岡ドーム(現在のみずほペイペイドーム福岡)で行われた日本ハムファイターズとの試合で、福岡ダイエーホークス(現在の福岡ソフトバンクホークス)がプロ野球のパ・リーグ優勝を決めた瞬間のことだ
球団が本拠地を大阪から福岡に移転後の初の優勝という特別な意味を持つこの試合で、城島さんはその瞬間を鮮明に記憶している
試合の緊迫感と優勝の瞬間
その試合、優勝へのマジックナンバーが「1」にかかる中、ダイエーホークスは5対4のリードを守りながら九回を迎えた二死、ランナーなしの状況で、次の打者がカウント1ボール、2ストライクになったとき、王貞治監督が「仏様のように笑っていた」という情景が浮かび上がり、城島さんの目には涙があふれた
守護神・ペドラザ投手と意見を交わし、城島さんはシンカーという投球の決め球を選んだ
シンカーとは、投手がリリースする際にボールの下側を強く叩くことで、地面に対して沈むように変化する球種で、特に右打者の足元に入り込みやすい特徴がある
その結果、振り遅れたバッターが空振りし、城島さんは感慨深さを抱えながらボールを守った
感動の優勝報告と球団への思い
試合後、城島さんはペドラザ投手と喜びを分かち合い、感動のあまり鼻血を出す一幕もあった勝利の瞬間、ポケットに収めていたウィニングボールを王監督に手渡し、「よくやった」とかけられた一言に再度涙があふれた
苦難からの成長と絆
王監督が就任した1995年、城島さんはチームに加入したが、その当時チームは深刻な低迷期にあった1996年にはファンからバスに生卵が投げつけられるなど、厳しい状況だった
だが、1997年の開幕前に王監督から正捕手に指名され、彼の指導のもとで成長を遂げた
配球や試合運びにおいても、工藤公康投手など球団のエースから教えを受け、監督の意図を理解することが求められた
王監督との関係も非常に濃密で、しばしば真剣な議論や口論も交わしながら、若手捕手としての成長を果たしていった
福岡移転後の初のパ・リーグ優勝を振り返る城島健司さんの回想は、チームの苦しい時期からの成長や強い絆を感じさせます。勝利の瞬間の感動が、今も鮮やかに記憶されていることは、彼の選手としての誇りを物語っています。
キーワード解説
- シンカーとは?シンカーは、投球時にボールの下側を強く叩くことで、地面に対して沈むように変化する球種で、特に右打者に対して効果的です。
- ウィニングボールとは?ウィニングボールは、試合の勝利を象徴する特別なボールで、選手が記念として保管することが一般的です。
- 守護神とは?守護神は、試合の最後の局面で登板し、試合を締めくくる役割を担う投手のことです。
- 配球とは?配球は、投手と捕手の間で行う、どの球種を投げるかやそのタイミングを決める行為を指します。

