FAで中日に移籍した川崎憲次郎氏の"巨人キラー"としての功績
2000年オフ、フリーエージェント(FA)制度を利用してヤクルトから移籍を果たした川崎憲次郎氏彼の中日ドラゴンズ加入には、当時監督を務めていた星野仙一氏の強力な勧誘が影響していた
川崎氏は通算29勝を挙げる“Gキラー”として知られ、名古屋のファンはその加入に驚喜した
移籍時には、エースナンバーである「20」を背負うことが期待されたが、右肩の故障が影響し、実戦での登板は叶わなかった
星野監督は2001年限りでドラゴンズを辞任し、その後川崎氏にとっても厳しい日々が続いていた
中日入団のきっかけとなったのは、星野監督からの「巨人だけは倒してくれ」という一言
この言葉は、川崎氏自身が幼少期から憧れていた球団であるだけに、彼にとって特別な意味を持っていた
ヤクルト時代には、通算88勝のうち29勝が巨人戦に対するものであり、星野監督もその記録に近づくことを望んでいた
当時、巨人はリーグのトップに君臨する存在であり、川崎氏はどこのチームが巨人を倒すのかという状況を理解し、力を尽くす決意をしていた
しかし、最終的には怪我が彼の活躍を妨げ、2001年シーズンを通じて登板できることはなかった
入団会見と懐かしい思い出
中日ドラゴンズへの入団時、川崎氏は豪華なホテルで行われた入団会見に参加したヤクルトとは異なり、名古屋での注目度は非常に高く、多くのファンから声を掛けられたと振り返る
入団の際、「20番に相応しい人物になれるか恐れがあり、固辞しようとしたが、結局その番号が与えられた
このことには驚くばかりだった」と述べた
その後、実際には肩の故障が原因で目標を達成することは叶わず、星野監督の記録を抜くことやチームの成績向上にも貢献できなかった
「すみませんでした」と謝罪をすると、監督は「肩は仕方ないな」と気遣ってくれたという思い出も鮮明に残っている
川崎憲次郎氏の中日ドラゴンズへの移籍は、星野監督の熱心な勧誘によるものだったが、右肩の故障という不運に見舞われ、期待された活躍は実現しなかった。入団当初からのプレッシャーと、故障を抱えた選手としての葛藤が伺える。
キーワード解説
- フリーエージェント(FA)とは?プロスポーツ選手が契約満了後に他チームと自由に契約できる制度。
- エースナンバーとは?通常、チーム内で最も信頼されている投手が背負う番号のこと。
- 巨人キラーとは?巨人を相手に特に強い成績を残す選手を指す言葉。

