広島カープの名投手・津田恒実氏の足跡を振り返る

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
旧広島市民球場に設置された『津田プレート』は、現在、マツダ スタジアムの選手通路に設置されています

『炎のストッパー』として多くのカープファンに愛された津田恒実氏

彼は打者と真っ向勝負するそのスタイルで、幾度となくカープに勝利を引き寄せました

津田氏は1993年7月20日に32歳という若さでこの世を去り、彼の33回忌を前に名投手の足跡を振り返ります

今回の記事では、かつてカープのスカウトとして長年活躍した故・備前喜夫氏がカープレジェンドたちの獲得秘話を語った連載企画『コイが生まれた日』を再編集して掲載します

津田恒実獲得の裏にあったエピソードに迫ります

津田恒実の入団までの道のり

津田恒実は、打者に「アウトコース低めの直球は10センチは浮き上がる感じ」と言わせ、アナウンサーには「スピード違反」という名実況を生むほどの実力を持った投手です

私が南陽工高の津田を見て感じた魅力は、その独特なフォームと卓越したコントロールです

ドラフト当日の葛藤

卒業後、津田は地元の協和発酵に就職

甲子園での活躍から9球団が彼を獲得しようとしましたが、ドラフト当日、津田の名前を記入したチームは一つもありませんでした

当時、南陽工高からは毎年多くの卒業生が協和発酵に就職しており、その中に津田もいました

私は何度も学校を訪れて熱意を伝えましたが、津田の進路を決めるのは彼だけであり、指名を許可してもらえませんでした

立ちはだかる壁

他球団が手を引いた後、私は津田を諦めることができず、ドラフト直前まで指名できないものかと考えました

しかし、スカウト部長から「事情が事情だけに今回は指名を見送ろう」と言われ、結局待つことになりました

そして3年後、津田は無事にカープに入団

明るい安らぎ
カープに入団後の津田は、以前の物静かだった印象から一変し、笑顔で周囲と話す姿が印象的でした

古葉監督の言葉を引用すると、「あいつがグラウンドに入るだけで、周囲が明るくなった」とのことです

本来の津田は明るく、周りから愛されるキャラクターだったのです

備前喜夫氏(1933年10月9日生 - 2015年9月7日没)は広島県出身で、選手としてカープに貢献した後、スカウトとして様々なレジェンド選手の獲得に尽力しました

津田恒実氏(1960年8月1日生 - 1993年7月20日没)は、1981年にドラフト1位でカープに入団し、1年目から活躍するなど、球団史上初の新人王に輝きました

彼の力強い直球と勝負するスタイルがファンに親しまれ、2012年には野球殿堂入りを果たしました

津田恒実氏は広島カープにとって特別な存在でした。彼の直球とその投球スタイルは多くのファンに愛され、球団の歴史に残る名投手となりました。入団過程における秘話は、彼の才能とチームの思いが交錯する感動的な物語です。
キーワード解説

  • 津田恒実とは?:津田恒実は広島カープの元投手で、強力な直球を武器に勝負する投球スタイルで知られています。彼は1年目から活躍し、球団史上初の新人王を受賞しました。
  • 新人王とは?:新人王とは、日本のプロ野球において、プロ入り1年目の選手の中で最も優れたパフォーマンスを見せた選手に贈られる賞です。
  • ドラフトとは?:ドラフトは、プロ野球チームがアマチュア選手を獲得するための選考会です。各チームが順番に選手を指名し、交渉権を得る仕組みになっています。
  • スカウトとは?:スカウトは、選手の才能を見抜き、チームに適した選手を見つける専門家です。彼らの仕事によって、チームの将来を左右する選手が獲得されます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。