安仁屋宗八氏が語る津田恒実氏の野球人生:名投手の思い出と人柄

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広島東洋カープと阪神タイガースで通算119勝を記録し、現在はデイリースポーツ評論家として活躍する安仁屋宗八氏が、現役時代の仲間である津田恒実氏についての思い出を振り返る

津田氏は、今年で亡くなってから三十三回忌を迎え、その時間の早さに驚かされると同時に、彼の素晴らしい野球人生を思い出す機会となった

津田恒実氏は1980年代に活躍した投手であり、彼の入団当初、安仁屋氏は古葉監督に「三振を取るタイプの抑え投手にしたい」と訴えた

しかし、古葉監督は彼を先発投手として起用することを選び、結果的に津田氏はデビュー年に11勝、翌年には9勝を挙げる功績を残した

彼の球速は160キロにも達し、主に直球を使用するスタイルで、多くの打者を圧倒した

安仁屋氏はまた、津田氏の性格についても語った

彼は「弱気は最大の敵」という座右の銘を持ち、常に強気で試合に臨んだという

右手中指の血行障害によりリリーフに転身することとなったが、その強気な性格がストッパーとしての才能を開花させたと述べる

津田氏はまた、練習熱心な人物であり、練習中にスタンドの階段を激しく往復する姿が印象的だった

試合後には自己反省のために再び走り込む姿勢も評価されていた

さらに、楽しい性格で仲間からは愛され、時には冗談を交えながら自らを楽しませていたという

特に重要な思い出の一つは、1986年のリーグ優勝を決めたヤクルト戦での胴上げ投手としての役割

その際、津田氏は北別府投手をリリーフする機会を得た

強い気持ちでマウンドへ向かう彼の姿は、かつての仲間に感謝を捧げるものであった

しかし、1991年のシーズン終盤に脳腫瘍が発覚した津田氏を見舞った際の出来事も忘れられない

自身の病気の深刻さを知りつつ、ユーモアを交える彼の姿勢が安仁屋氏に深い印象を与えた

その後、身体的な大変さにも関わらず、津田氏は復帰の夢を抱いていたが残念ながら実現することはなかった

安仁屋氏は「彼には悔いのない野球人生があった」と語り、津田氏の野球に対する情熱と人柄を讃えた

津田恒実氏の野球人生は多くの人々に感動を与えてきました。安仁屋宗八氏が語るように、彼の投手としての能力だけでなく、明るい人柄が周囲に愛されていました。過酷な状況の中でもユーモアを失わない姿勢が特に印象的で、彼の人間性と才能が長く記憶に残ることは間違いありません。
キーワード解説

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