阪神タイガース、2年ぶりのリーグ優勝と1992年の投手陣の輝きについて

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2025年9月17日、阪神タイガースが2年ぶりにリーグ優勝を果たし、これで7度目の栄冠を獲得しました

この優勝はプロ野球両リーグ史上最速のものであり、かつて「ダメ虎」と呼ばれた阪神の暗黒時代は過去のものとなっています

しかし、暗黒時代の中にも輝きを放った瞬間があり、それが1992年の優勝争いです

そこで今回は、チーム防御率が2.90という素晴らしい成績を残した1992年の阪神投手陣に焦点を当ててみます

1992年の投手陣

弓長起浩

弓長起浩 生年月日:1967年7月5日 投打:左投左打 身長/体重:178cm/88kg 経歴:国東高 - 亜細亜大 - 熊谷組 ドラフト:1991年ドラフト3位(阪神)
弓長起浩にとって1992年は阪神タイガースでのルーキーイヤーでした

彼は切れのあるストレートとスライダー、スクリューなどの多彩な変化球を駆使し、淡々と投げ込む姿が印象的でした

初めての登板は、開幕から間もない4月16日の大洋ホエールズ戦で、5点ビハインドの場面で1回を無失点に抑えます

その後は中継ぎとしての活躍から、離脱した抑え投手に代わってフル回転でチームを支えました

特に7月12日の中日戦でプロ初セーブを挙げ、その後も順調にセーブ数を重ね、最終的には51試合に登板し、4勝1敗4セーブ、防御率1.35という優れた成績を記録しました

困難な場面でも冷静さを保つ彼の投球は、新人とは思えないものでした

弓長はその後も阪神の中継ぎ陣を支え、1993年から1994年にはそれぞれ54試合に登板、また1997年には59試合に出場するなど、計11年間のプロ生活の中で合計400試合以上に登板しました

阪神タイガースが2年ぶりのリーグ優勝を達成し、その過程で1992年の投手陣の活躍が再び注目されています。弓長起浩をはじめとする投手陣の冷静な投球が、チームの底力を引き出したのだと感じます。これからの選手たちも、当時のような活躍を目指してほしいと思います。
キーワード解説

  • 防御率とは?投手の成績を示す数字で、与えた自責点を投球回数で割った値です。低い数値ほど優れた投手とされます。
  • 中継ぎとは?試合途中に先発投手に代わって登板する投手のことを指し、試合の流れを変える重要な役割を持ちます。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。