中村氏は、この時期に引き合いに出されたメジャーリーグのオファーについて、自身の心境を詳細に明かしました
2001年オフ、中村氏は近鉄からの巨額の契約提示を拒否
具体的には、6年間で推定35億円というオファーがあったものの、彼は単年契約で年俸5億円に出来高払い1億円という条件を選びました
この選択について中村氏は、「FAの影響で給与を上げることが、他球団からの声掛けを減らすかもしれないと考えた」と述べています
その後、2002年オフにはニューヨーク・メッツ、サンフランシスコ・ジャイアンツ、阪神タイガースからオファーが届きましたが、近鉄との残留交渉も進んでいました
中村氏は、自身に寄せられた評価を振り返りながらも、「メジャーリーグには全く意識が向いておらず、恐れ多く感じていた」と語りました
結局、彼は近鉄に残留することを選びました
また、中村氏は当時、金髪のスタイルを通じて「強面」を演出していた理由についても触れています
中村紀洋氏がYouTubeで自身のFA交渉に関する秘話を語り、メジャーリーグのオファーについての思考過程を公開しました。彼の選択は、当時の日本球界の状況を反映したものとも言えるでしょう。
ネットの反応
中村紀洋氏のFA宣言や過去の選択についてのコメントが多く寄せられています
ファンや野球関係者は、メジャーリーグのメッツからのオファー、そして巨人や阪神といった日本の名門チームからのオファーの意味について懐かしさや感慨を込めて語っています
特に、当時の選手たちの中でも屈指の才能を持つ選手として、中村氏の選択がもたらした影響や思い出がコメントの中で表現されている点が印象的です
また、彼のユニークな打席フォームやプレースタイルに対しても多くのファンが愛着を持ち、あの頃のプレーを懐かしく振り返っています
特にホームランを打った時のバット投げや、守備の上手さに対する称賛が目立ち、彼が残した印象深いシーンが多くの人に記憶されています
さらに、震災時の寄付行為について感謝の声が上がり、選手としての人格や価値観についても評価が高まっています
コメントの中には、「中村紀洋というブランドを考えて近鉄で終わっていいのか」といった、彼の選手としてのキャリアについての鋭い指摘も含まれています
さらに、当時の巨人や阪神の提示額が高かったことを指摘し、もしあの時に違う選択をしていたら、野球人生がどのように変わっていたのかと考える声も目立ちます
総じて、ファンは中村氏の選択やその結果をさまざまな角度から考察し、感情豊かに反応していることが伺えます
ネットコメントを一部抜粋
メッツ、ジャイアンツ、タイガースってNPBの巨人・阪神じゃなくて、MLBのジャイアンツ・タイガースではなく???
震災の時には多額の寄付をしてくれた気持ちが嬉しかったです。改めて、ありがとう。
色んな意味で見ていて面白い選手でした。
結局、メッツは正式合意の前に情報漏えいしたことで、ノリの信用を裏切って契約破棄したんだよね。
中村はあのフォームでメジャー行ったのは無謀だったよね。
キーワード解説
- フリーエージェント(FA)とは?
- メジャーリーグとは?
- スタイルとは?