中日ドラゴンズの平野謙選手、苦難の投手生活から外野手への転身を語る
1978年、中日ドラゴンズにドラフト外で入団した平野謙選手は、1年目のシーズンを振り返り、投手としての苦難と外野手としての新たなスタートを語った入団当初、平野選手がもらった背番号81は、先輩コーチの番号であったため、「コーチで入ったのか?」とからかわれることもあった
平野選手は、プロ初のシーズンでウエスタン・リーグにおいて好成績を残したが、1軍昇格のチャンスには恵まれなかった
その理由として、「背番号81が1軍で投げるのはおかしい」という意見があったためである
この年は、ウエスタン・リーグのクラウンライター戦に先発し、最終回に同点ホームランを許したことも思い出に残っている
翌年の1979年、平野選手は背番号57に変更となる
これにも意味があり、母の命日が5月7日であったことから、その番号に縁を感じていた
しかし、肘の痛みが響き、投手としての道は閉ざされてしまった
より大きな活躍が期待されたにも関わらず、選手としての進路に苦悩する日々が続いた
負傷からの回復が難しい中、二軍打撃コーチの助言を受け、外野手への転向が決定する
平野選手は野手への転身に対する不安もあったが、教えを受けて日々努力を重ね、外野手として活躍することとなった
外野手としてのキャリアはゴールデングラブ賞を9回受賞するなど、輝かしいものであった
平野選手の経歴
| 氏名 | 平野謙 |
|---|---|
| 生年月日 | 1955年6月20日 |
| 出身地 | 名古屋市 |
| プロ入り年 | 1978年 |
| ポジション | 外野手 |
| 主な受賞歴 | ゴールデングラブ賞9回 |
| 通算犠打数 | 451 |
引退後の活動
平野選手は引退後も野球界に貢献し続け、ロッテや日本ハム、中日、社会人、独立リーグでの指導を通じて後進の育成に尽力している現在は、クラブチームの山岸ロジスターズの監督も務めている
平野謙選手の物語は、プロ野球選手にとっての努力と転機の大切さを教えている。投手としての夢が叶わなかった後も、外野手として努力し続けた姿勢は多くの人に勇気を与える。故障からの復帰だけでなく、新たな道へ進む決断は、自分を信じ、挑戦することの大事さでもある。
キーワード解説
- ドラフト外とは?プロ野球において、ドラフト指名を受けずに選手が球団と契約することを指し、才能が認められる一つの道となります。
- ウエスタン・リーグとは?日本のプロ野球における二軍リーグの一つで、若手選手や故障者からの復帰を目指す選手たちが所属します。
- ゴールデングラブ賞とは?プロ野球において、優れた守備を見せた選手に贈られる賞で、年間で最も優れた守備選手に与えられます。

