小俣さんは、広島、巨人、ロッテなどで活躍した左投げの投手であり、長嶋氏の監督就任に伴いトレードで巨人に入団
1977年の優勝に貢献し、ロッテ時代にはプロ初の完投勝利を収めた
小俣さんは、現役引退後に打撃投手としてチームを支えたが、長嶋氏との深い縁から専属広報としての道を歩むこととなった
「人に恵まれ、導かれてきた人生だった」と振り返る彼は、長嶋氏を支え続けた
6月に報じられた長嶋氏の訃報に際しては、小俣さんが自宅前で報道陣に対応し、弔問客を迎える姿が見られた
彼は「まだ亡くなったという実感がないが、長嶋さんに巡り合ったからこそ今がある」と言葉を綴った
小俣進さんの野球人生
38年前、長嶋氏が監督復帰を決定した際、新米広報としてその現場に立ち会った小俣さん初めて経験する広報の仕事に対し、「仕事が何かも分からなかった」と当時を振り返る
自身がプロ選手となった背景には、監督からの指導があった
小学校での右投げから左投げへの転向を勧められたことで、その道が開けた
彼は中学校時代に一塁手から投手へと転向し、ドラフト5位で広島に入団
プロ野球選手としては13年の長きにわたって活躍し、特に巨人では長嶋氏の指導のもとで多くの経験を積んだ
引退後はロッテと巨人で打撃投手として活躍
さらに長嶋監督の専属広報を務め、彼を支える役割を担っていた
長嶋茂雄氏との関係
最近では長嶋氏と共に訪れた神社や仏閣を再訪し、感謝の気持ちを伝える作業を続けている「長嶋さんは感謝の気持ちで神社を訪れていた」
そう語る小俣さんの姿には、敬意と感謝の念がひしひしと伝わってくる
人生の節目を迎えて
小俣さんは「運がよかった」「ツキがあった」と語り多くの人々との出会いに感謝を示した彼の明るい人柄と努力が、運を引き寄せてきたことは言うまでもない
小俣進さんの野球人生は、長嶋茂雄さんとの強い結びつきに彩られていました。彼の人生は、多くの方々との出会いと感謝に満ちており、特別な思いを抱いている様子が伝わります。野球界における彼の貢献は、広報活動を通じて今後も続いていくでしょう。
キーワード解説
- 専属広報とは?企業や有名人の広報活動を専門にする職種のことを指します。彼らはメディアへの対応やイベントの調整などを行い、イメージの向上に努めます。
- トレードとは?プロ野球において、選手を他チームと交換することを言います。この方法で移籍することで、新たなチームでの挑戦が可能となります。
- 完投とは?投手が自身だけで試合を投げきることを指し、完全に試合を支配する能力の証とも言えます。

