享年76
葬儀は近親者で執り行われた
河原さんは大分商業高校時代、1967年の夏の甲子園でベスト8に進出
その優れた才能から同年のドラフトで1位指名を受け、西鉄ライオンズ(現在の西武ライオンズ)に入団した
彼は背番号18を背負い、それは後に郭泰源や松坂大輔、涌井秀章など、名だたる投手たちが引き継いだ番号でもある
プロ入り後、河原さんはサイドスローへの転向を果たし、1969年から1970年にかけては2年連続で2桁勝利を挙げる活躍を見せた
しかし、1970年には19敗、1971年には16敗を記録し、リーグワーストの黒星を喫するなど厳しい時期もあった
また1970年は「黒い霧事件」と呼ばれる野球賭博問題で、主力投手が永久追放の処分を受けた中、河原さんは東尾修(元西武監督・スポーツニッポン評論家)らと共に投手陣を支え続けた
1974年のオフにはトレードで大洋ホエールズ(現・横浜DeNAベイスターズ)に移籍し、1975年を最後に現役を引退
その通算成績は280試合出場で41勝76敗1セーブ、防御率は4.25であった
河原明さんの死は、プロ野球界における一つの時代の終わりを意味します。彼が経験した成功や困難な時期は、選手としての成長と共に多くの人々に影響を与えてきました。今後も彼の足跡は後輩選手たちに引き継がれていくことでしょう。
キーワード解説
- ドラフト1位とは?:プロ野球選手を選ぶ際に、特に評価の高い選手をチームが最初に指名することを指します。
- サイドスローとは?:投手の投球フォームの一つで、腕を平行に近い位置から横に振ってボールを投げるスタイルです。
- 黒い霧事件とは?:1970年代に発覚した野球賭博問題で、主力選手が処分を受ける事態が起きました。

