今年、エキスパート部門で選ばれたのは掛布雅之氏(69)です
昨年は当選必要数にわずか「2票」足らずに落選していましたが、今年は得票数111票を獲得し、当選の喜びを味わいました
当選に必要な票数は109票だったため、昨年の悔しさをバネにした結果といえるでしょう
選考は、殿堂入りした者や競技者表彰委員会の幹事、さらに30年以上にわたる野球取材を行ってきた委員によって行われます
筆者である私も、多くの思い出を持つ掛布氏に毎年投票をしてきましたが、今回やっと「選んであげることができた」という達成感があります
掛布氏との思い出
私が掛布氏と出会ったのは、1979年12月、当時私は虎番記者としての責務を負っていました掛布氏はその年に初の本塁打王となり、安紀子さんとの結婚披露宴を取材したことが記憶に残っています
しかし、1年生記者という立場では、彼と直接話すことはありませんでした
リハビリと出会い
1985年、美しくも厳しい野球人生の中において、掛布氏が左ひざの半月板を損傷した際、彼のリハビリを取材することができました彼は「1分間体操」というリハビリに取り組んでいましたが、ある日、私と一対一の対話をする機会が訪れ、私たちの関係が深まるきっかけとなりました
監督就任の難しさ
掛布氏は2013年に球団に呼ばれ、GM付き育成&打撃コーディネーターとして活動を開始しましたが、その後の道のりには波風が立ちました彼を押し上げてくれていた中村GMの急逝に伴い、監督への道も閉ざされた感がありました
2軍監督としての挑戦
2015年10月、掛布氏は2軍監督に就任し、その際に背番号を「85」にしたいという希望がありましたしかし、最終的には球団から「31」の背番号を要請され、この決定によって彼の新たなステージが始まりました
掛布氏の教育方針
掛布氏は選手の自主性を大切にし、教育者としての役割を果たすことに喜びを感じていましたが、金本監督との意見の違いが目立ち、結果的に彼の監督職は2年間で幕を閉じることとなりました掛布氏は選手に対する愛情が強い教育者として、適任であったと考えます
今後の期待と祝福
掛布氏は今年の5月に70歳を迎えますが、今後の監督就任はおそらく難しいでしょうとはいえ、彼の輝かしい功績が野球界に刻まれたことは間違いなく、今回の殿堂入りを心から祝福したいと思います
掛布雅之氏の殿堂入りは、彼の長いキャリアと功績をしっかりと評価する形となりました。昨年は悔しい結果に終わったものの、今年は周囲の期待を背負って見事に当選したことは、彼の努力と情熱が実を結んだ証です。これからも野球界での彼の影響力に期待が寄せられています。
ネットの反応
阪神の掛布雅之2軍監督が2年間で解任された理由について、ファンからのコメントは多岐にわたっている
まず、掛布監督が金本監督との指導方針のズレがあったという指摘が目立ちます
金本監督は厳しい指導を重視している一方で、掛布監督は現代の選手に合わせた自由な教え方を好んでいたと言われています
これにより、チーム内での風通しが悪くなることが懸念されていました
また、多くのファンが掛布監督の1軍監督としての姿を見たかったという意見を寄せています
掛布氏は阪神ファンからの人気が高く、その指導力に期待する声が多いのです
しかし、実際には2軍戦で居眠りしていたというエピソードもあり、体力面への不安が退任の一因になったとの見方もあります
さらに、若手選手の育成に対する取り組みが見えづらく、成績も振るわなかったため、解任はやむを得ないとする声もあります
掛布監督が指導するスタイルと金本監督の厳しさが合致しなかった結果、チームの成績に影響を及ぼしたのが解任の背景にあるようです
特に若年層の選手に対する育成方法の違いが、阪神の組織運営において絡んできたことも指摘されています
このように、掛布監督の解任は単なる個人の問題ではなく、阪神全体の方針や戦略のコンフリクトから見て取れるのです
ファンの中には、若い監督の下で新しい風を吹かせることを期待する声もあり、今後の阪神タイガースの進化に注目が集まっています
ネットコメントを一部抜粋
阪神ファンじゃないけど、掛布監督は見たかった
掛布が一軍監督は無理でしょ
飲酒運転と事業失敗による借金まみれ、固定資産税滞納などがなければ一軍監督になれたかものう。
掛布さんの監督姿が見たいです タイガースがいいけど無理なら他球団でもいいから見たい
掛布さんは、監督見たかったなと言われるくらいが1番おいしいのでは?
キーワード解説
- 殿堂入りとは?
- エキスパート部門とは?
- リハビリとは?
- 教育者としての役割とは?
- 自主性とは?

