中日ドラゴンズの歴史的打者、井上弘昭さん逝去

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中日ドラゴンズの貴重な強打者であり「ポパイ」として親しまれていた井上弘昭さんが82歳で亡くなったという悲報が届いた

井上さんは球団創設90周年を迎える中日ドラゴンズにおいて、数々の記録を打ち立てた名選手として記憶されている

当たり前のように輝いた3番打者としての活躍

ドラゴンズには、歴代の3番打者が多く、その中でも井上さんは特に目を引く存在だった

1974年には、讀賣ジャイアンツの10連覇を阻止し、20年ぶりのリーグ優勝に大いに貢献した

井上さんの背番号「6」は、球団のファンに長らく愛され続けている

優勝に導くホームラン

1967年にドラフト1位で広島東洋カープからプロ入りした井上さんは、1973年に中日ドラゴンズへトレード移籍

初の規定打席到達は1974年で、打率は.290、ホームラン18本と素晴らしい成績を収めた

特に、リーグ優勝決定試合ではホームランを放ち、「3番井上タイムリー」としてファンに祝福された

脅威のデッドボール数

井上さんはその圧倒的な存在感で知られた打者で、デッドボール(死球)を受けることも多かった

ドラゴンズに在籍した8年間で受けたデッドボールの数は83、これは球団記録として現在も残っている

強気な打席から繰り出される迫力は、他の選手を圧倒していた

首位打者の座を逃した悲劇

1975年、井上さんは広島カープの山本浩二選手と首位打者争いを繰り広げていた

最終戦でヒットを打てば逆転出来る場面で、内角へのボールがデッドボールと判定されたことが大きな影響を及ぼした

このデッドボールにより、打率は山本選手に届かず、貴重な首位打者の権利を逃してしまった

その悔しさは、ファンの心にも深く刻まれている

井上弘昭さんの訃報は多くのファンにとって大きなショックです。彼は強打者としてだけでなく、ドラゴンズの歴史に深く刻まれた存在であり、今後もその功績は語り継がれることでしょう。特に、デッドボールを受けても果敢に勝負に挑む姿勢は、若い選手たちにとっても大きな見本となるでしょう。
キーワード解説

  • デッドボールとは?:打席で投手が投げたボールがバッターに当たることを指す。この場合、バッターは一塁に進むことができる。
  • 首位打者とは?:シーズンにおいて、最も打率が高い選手に与えられる称号。打撃の腕前が特に高い選手が選ばれる。

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