武田一浩氏が語る、中日時代の右膝痛との苦闘と野球人生の転機

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

武田一浩氏、中日時代に右膝痛との闘いを明かす

野球評論家であり、NHKのMLB中継解説者としても知られる武田一浩氏が、中日ドラゴンズ時代に患った右膝の痛みについて語った

1991年に日本ハムファイターズで最優秀救援投手のタイトルを受賞し、1998年にはダイエーで最多勝を記録した武田氏は、1999年に中日にFA移籍し、初めてのリーグ優勝を経験

しかし、その裏には激しい痛みに耐える日々があった

1999年4月6日、横浜戦で移籍後初先発を果たし完封勝利を収め、続くヤクルト戦でも完封勝利を挙げた

しかし、後半戦の8月8日の横浜戦で右膝を痛め、軟骨と半月板を損傷する重傷に見舞われた

「とても痛かったが、チームが優勝争いをしていたため、病院で水を抜いてそのまま投げていた

コントロールも悪化した」と振り返る

痛みを抱えながらも先発ローテーションを守り抜き、11年ぶりのリーグ制覇を達成したが、翌2000年は痛みに悩まされ続けた

春季キャンプ初日にランニングができないほどで、関節の滑らかさを改善するための注射や座薬による治療を受けながら強行登板を続けた

「その時期、『座薬泥棒』と冗談を言われたこともあった」と述懐する

2000年は3勝にとどまり、シーズン後には右膝の手術を受けることに

引退の覚悟を抱えながらのシーズンだったが、運命の転機は長嶋監督との対話に起因する

星野監督から引導を渡され、FA移籍の契約に記されていた終身雇用を放棄することも決意した

最終的に中日から戦力外通告を受けた武田氏は、星野氏の阪神監督就任の情報を受け、「阪神が良い」と再度の共闘を訴えたが、星野氏からは「阪神には若い選手が必要」とされ、最終的には巨人へ移籍することに

2002年には巨人でプレーし、古巣中日を相手に移籍後初勝利を挙げた

右膝の痛みが続く中で、現役ラストイヤーまで目立った活躍を見せ続けた武田氏

彼の語る苦労や葛藤は、多くの野球ファンにとって感慨深いものである

武田一浩氏の体験は、プロ野球選手が迎える厳しい現実を物語っている。特に怪我との闘いは精神的にも肉体的にも大きな負担となる。多くの選手が選ぶ道を示す彼の経験は、若手選手にも大いに参考となるだろう。
キーワード解説

  • 最優秀救援投手とは?:野球で、シーズン中に特に優れた救援投手に与えられるタイトルのこと。
  • 先発ローテーションとは?:野球において、先発投手たちが定期的に登板する順番のこと。
  • FA移籍とは?:フリーエージェント移籍のことで、特定の制限なく別のチームへ移ることができる制度。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。