平松政次が語る野球人生の喜怒哀楽と巨人との血縁
プロ野球ファンにとって、巨人の栄光を語る上で彼らのライバルについても触れないわけにはいかないスポーツ報知のインタビューシリーズ「巨人が恐れた男たち」の初回では、元大洋のエース、平松政次さん(77)が登場した
平松さんは「カミソリシュート」と呼ばれる独特の投球を武器に、巨人戦で51勝を挙げ、長嶋茂雄選手を苦しめた投手として知られる
彼のプロ野球人生には喜びと悲しみが交錯していた
平松さんは18年にわたる現役生活の中で、胴上げされた経験が一度もなかったことに特に悲しみを感じている
その理由について振り返ると、1969年から71年までの3年間は3位が続き、優勝に手が届かない苦しい時期だったが、巨人の強力なチームが壁となった
興味深いエピソードとして、1975年のオフに巨人への移籍が幻に終わったことがある
この年、長嶋巨人が最下位に沈んでおり、平松さんは当時の妻と実家にいた際に長嶋さんから急な電話を受けた
長嶋さんは「君が欲しい」と直球で申し込んできたが、トレード交渉がうまくいかず、結局平松さんの移籍は実現しなかった
この時、もし移籍が成功していれば、彼のキャリアにどれほど影響を与えたのだろうかと今でも思いを巡らせている
平松さんは「長嶋さんのもとで最低15勝はしなければならないというプレッシャーがあったが、結果的にはダメだった」と述べ、長嶋さんに対する特別な想いを語る
面と向かって長嶋さんに話すのは気まずかったが、彼との関係性を崩したくなかったという思いが伝わってくる
平松政次さんは1947年に岡山県で生まれ、岡山東商時代にセンバツで4戦連続完封を達成
その後、大洋(現在のDeNA)にドラフト2位で入団し、1970年には最多勝と沢村賞を受賞
引退後は解説者としても活躍し、2017年には野球殿堂入りを果たした
通算成績は201勝196敗16セーブ、防御率は3.31に及ぶ
平松政次さんのインタビューは、彼の野球人生の裏側を明かす貴重な機会であった。巨人との関わりでは叶わなかった夢や、投手としてのプレッシャーが彼の心にどう影響したのかを知ることができた。特に、長嶋茂雄選手にも関わるエピソードは、プロ野球の人間関係を考えさせるものであった。
ネットの反応
コメントは、平松政次さんと長嶋茂雄さんの関係に関して、さまざまなエピソードや意見が寄せられていました
まず、長嶋さんが「君が欲しい」と思い、彼女の家に電話をかけたという話から、平松さんの重要性が伝わります
多くのユーザーは、平松さんを巨人が獲得するためにはかなりの犠牲をしなければならなかったことに同意し、当時の状況がいかに厳しかったかを指摘しています
また、長嶋さんが自らの打撃スタイルとは対照的に、平松さんの内角シュートだけは特に気にしていたという話も多くのコメントに取り上げられていました
さらに、平松さんの投球がもたらす難しさについても、多くの人がその精度と速さに感心している様子が見受けられます
長嶋さんの平松さんに対する対戦成績が低く、打てない相手であったことも数多くのコメントの中で強調されていました
昭和の名投手の特徴として、重心の低い美しいフォームが話題に上がり、そのスタイルに共感する声が多くありました
他にも、野球界のスターとしての長嶋さんの魅力や、当時のファンの思い出に触れたコメントも多く、平松さんがジャイアンツに加わることの想像を巡らせる意見も見られました
全体として、このコメントセクションは、平松政次さんが野球界でどれほど特別な存在であったかを再認識させる内容で埋め尽くされました
ネットコメントを一部抜粋
平松さんをトレードで獲るなら巨人も出血を覚悟しないといけなかっただろうから難しかったんだろうね。
オレは、感覚で打つからオレには、球種を教え無くていいと言っていた。
平松の鼻をへし折ってやろうと考え、絶対シュートが来る、と読み、果たして投じられたシュートを捉えた。
長嶋さんの対平松投手の対戦成績は確か1割8分位でしたね。
やはり昭和のスターは絵になる。
キーワード解説
- カミソリシュートとは?:カミソリシュートは、平松政次選手が投じる球種のひとつで、ボールが直線的に飛んだ後、急激に変化して落ちる特性を持っています。この球種はバッターにとって非常に打ちづらいもので、平松選手の代名詞となった投球スタイルです。
- 沢村賞とは?:沢村賞は、日本のプロ野球において最も優れた投手に贈られる賞です。特に投手の成績が優れた選手が選ばれ、球界の名誉ある賞とされています。平松選手は、この賞を受賞したことによってその実力が証明されました。

