その低迷期を選手として経験した岡義朗氏(デイリースポーツ評論家)が、当時の思い出を振り返ります
南海ホークスの輝かしい歴史
南海ホークスは、稲葉篤紀監督のもとで数々の名選手を輩出し、一時代を築きました特に、野村克也さんなどが活躍した時代は、球団の黄金期と言えます
スコアラーの役割
南海は、スコアラーというポジションをいち早く導入したことで知られていますスコアラーとは、試合や相手チームに関する情報を収集し、選手にフィードバックする役割を担う専門職のことです
彼らは相手選手のクセやサインを読み解くことで、試合において優位に立つための情報を得ることができます
低迷の始まり
岡氏は1980年、広島から南海に移籍しましたが、その時期の南海はすでに低迷期に入っており、球団事務所の雰囲気もどんよりとしていました選手たちはチーム全体の勝利よりも、自分自身の成績を優先する傾向が強くなっていたと語ります
試合後の驚きの光景
試合に敗れた後、選手たちはユニフォームのままマージャンに興じており、岡氏はその光景に驚いたと述べています「せめてユニフォームは脱ごうよ」と問いかけると、監督は「汚れてないから問題ない」と平然と答えたそうです
このような風潮が、チームの士気をさらに低下させていたと考えられます
再建の難しさ
南海の強さは、野村克也さんが監督した時代までとされ、その後の衰退と負け癖は、チーム再建を非常に難しくしたと岡氏は振り返ります古葉竹識氏が指導者として戻り、広島に黄金時代をもたらしたように、選手時代の経験が大きな影響を与えたのではないでしょうか
南海ホークスの衰退を傍観した岡義朗氏の体験談は、当時の野球界の一端を知る上で貴重な資料です。選手たちのチームへの意識の低下や、試合後の不真面目な現状は、当時の球団運営や精神的部分の問題を浮き彫りにしています。
ネットの反応
南海ホークスの監督が敗戦後にユニホーム姿でマージャン部屋に直行したニュースに対し、ネット上ではさまざまな意見や感想が寄せられています
コメントの中では、監督の麻雀行為が気晴らしの一環として理解される一方で、昔の南海ホークスの栄光やその後の低迷期について懐かしむ声も多く見受けられました
特に、南海ホークスが強かった時代の選手たちが育成された過去を振り返る意見や、「当時は麻雀が盛んで選手たちの交流があった」という声が印象的です
さらに、麻雀を通じて選手同士の絆が強まっていたことも指摘され、当時の雰囲気についての思い出が語られました
ただ一方で、現状のチーム運営に対する批判的な意見もあり、親会社の支援不足や選手のやる気の欠如を嘆く声も散見されました
このように、昔のホークスの良い時代と現在との対比が多くのコメントに表れており、ファンの複雑な心情が伺えます
ネットコメントを一部抜粋
かつてはどこの選手も麻雀をしていた、移動の夜行列車の中とかでも。
負け犬根性が骨の髄までしみ込んでいたホークスに根本さんがよく来てくれたと思います。
黄金期の広島カープから泥濘の底に沈んだ南海ホークスへの移籍はなかなか厳しかったでしょう。
麻雀の勝負の流れを、野球の試合の流れに見立て性格を分析していた、みたいな話もあります。
あんだけ補強しても勝てなかった、岡・真弓の岡氏ですよね。(笑)
キーワード解説
- スコアラーとは?:試合や相手に関するデータを収集し、選手に指示を出す専門職のことです。