阪神の名監督、吉田義男氏の告別式に約200人が参列

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阪神タイガースの監督として1985年に球団初の日本一に導いた吉田義男さん(享年91)が、3日に脳梗塞で亡くなり、8日に兵庫・西宮市内にて告別式が執り行われました

家族だけの葬儀の中、約200人の阪神OBや球団関係者が参列する温かいお別れの場となりました

吉田義男氏の功績

吉田さんは1975年から1986年までの間に阪神を指揮し、特に1985年のリーグ優勝と日本一の達成が記憶に残ります

この年の成功は、彼の導きによるものであり、球団史において特別な位置を占めています

参列者の思い

告別式では、1985年のVメンバーであり野球評論家の掛布雅之OB会長(69)が「本当に感謝しかない」と吉田さんへの思いを語りました

掛布氏は「打つ、守る」といった基本技術を吉田さんから学び、選手としての土台を築き上げることができたと回顧しました

また、85年の胴上げ投手である中西清起氏(62)は、吉田監督がピンチの際に見せた勇敢な采配と、選手を支え続けた姿勢に対して感謝の言葉を述べました

「打撃だけでなく守備にも力を入れた采配を展開してくれた」と回想し、吉田さんの影響力の大きさを強調しました

最後の別れと音楽

告別式の中で、吉田さんが自身で歌った「六甲おろし」の音源が流れる中で出棺するという演出が行われ、参加者は故人を偲びました

この曲は阪神タイガースの応援歌として有名であり、吉田さんの功績を象徴するものでしょう

主な参列者
氏名 役職
掛布雅之 OB会長
江本孟紀 OB
上田二朗 OB
中田良弘 OB
福本豊 OB
山田久志 OB
安仁屋宗八 OB
秦雅夫 オーナー
粟井一夫 球団社長
南信男 元球団社長
吉田義男氏の告別式は、多くの阪神ファンや関係者にとって感慨深い時間でした。彼の指導により成長した選手たちが一堂に会し、思い出を語り合う姿は、いかに彼が愛されていたのかを示しています。野球界の一時代を築いた吉田さんの存在感は、今後も色あせることはないでしょう。
キーワード解説

  • 脳梗塞とは?脳の血管が詰まってしまう病気で、血流が止まることで脳の一部が傷つきます。
  • 六甲おろしとは?阪神タイガースの応援歌で、チームの勝利を願う内容の歌です。
  • OBとは?プロスポーツにおいて、現役を引退した選手や関係者のことを指します。

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