大学時代からの知人である江本孟紀氏が、彼の人生におけるリアルな闘将の素顔を描いた著書『僕しか知らない星野仙一』(カンゼン)より、一部を転載し、星野氏が巨人から指名されなかった背後にあった理由を解説する
星野さんが巨人から指名されなかったワケ
星野氏の大学時代の通算成績は23勝25敗と負け越しだが、通算防御率は1.91という優れた数字を誇っている防御率とは、投手がアウトを取った全イニング中に奪った得点の平均を示す指標で、数字が低いほど優秀とされる
星野氏はプロ志望の球団として巨人を希望していたが、最終的に中日に入団することとなった
彼は大学時代、肘を故障しており、「名古屋の中日」という選択を辛い思いで受け入れたに違いない
実際、星野氏は大学2年の時に肘に痛みを感じ、医者からは「手術の必要はないが、肘は治らない」と言われていた
この状況が、巨人がスカウト活動の中で「星野は右肘に問題を抱えている」との情報をつかんだ原因とされている
「裏人脈」が情報の発生源だったのでは
星野氏にとって、この肘の問題はまさに死の宣告に等しい衝撃だった岡山から上京し、プロ選手の夢を追っていた最中に、プロになれないかもしれないという恐怖を抱えていた
だが、運命の転機が訪れ、肘のしびれが突然消えた
彼は完全に回復したものの、巨人のスカウト陣は彼の肘の怪我についての情報を持っていたため、彼を指名することはなかった
当時、巨人のスカウト陣は星野氏と武相高校の島野修選手どちらを指名するかで意見が分かれていた
星野氏を推す意見もあったが、巨人の歴史を考慮すると、彼が大学で活躍した早稲田や慶應などから選手を選ぶべきとの声も多かった
このような背景が、彼の運命を大きく変えてしまったのである
星野仙一監督が巨人から指名されなかった理由の背景には、彼の肘の怪我があった。彼自身はその後に完全に回復したが、情報が先行してしまったため、希望していた巨人に選ばれなかったというのは運命的な出来事である。プロへの道が閉ざされたと思った時の彼の心中は計り知れない。
ネットの反応
コメントの内容には、星野仙一氏が巨人から指名されなかった経緯やその後の野球人生に対する考察が含まれています
あるコメントでは、星野氏がもし巨人から指名されていた場合、勝利数の達成が難しかったかもしれないと指摘しています
巨人のユニフォームに対する憧れがあったため、それが彼の競争心を引き出し、結果として成績を残すことにつながったという意見です
また、星野氏が中日で監督を務めていた際も、マスコミからの厳しい批判に直面しなかった理由として、名古屋のマスコミの温情を挙げる意見もありました
これにより、野球ファンの間での彼に対する評価が異なることがうかがえます
さらに、昭和のプロ野球が持っていた「個性」や「風格」が失われていく過程についての懐かしさや、現代とは異なった時代背景への感慨も述べられています
最後には、星野氏の監督としての政治的な側面や、暴力行為についての見解もあり、その時代には許されていたことが今では問題視されるという意見がありました
このように、コメントは星野仙一氏の多面的な評価を通して、プロ野球の歴史や文化、選手としての成長と監督時代の葛藤を反映する内容となっています
ネットコメントを一部抜粋
もし星野監督がジャイアンツから指名されていたらたぶん通算成績146勝は達成が無理だったかも。
この時代に批判の元に晒されていたらその後の星野の監督生活はまた違ったものになったのだろうか。
大人しい中監督は星野とはやりづらかっただろうな。
昭和のプロ野球は楽しかった。
清原和博には、星野氏のように「打倒巨人」を貫くプロ野球人生を送ってほしかった。
キーワード解説
- 星野仙一とは? - 日本のプロ野球選手及び監督で、中日、阪神、楽天の3球団でリーグ制覇の実績がある偉大な人物です。
- 防御率とは? - 投手が投げたイニング中に許した自責点の平均を示すもので、数字が低いほど投手が優秀とされます。
- 裏人脈とは? - 公式な情報源ではなく、非公式なネットワークを介して得られた情報を指します。