上田二朗氏、髄膜炎との闘いが影響を与えた野球人生
元阪神タイガースおよび南海ホークスの名投手、上田二朗氏(現在は野球評論家)は、彼の高校時代における深刻な病気の影響を語った1964年1月、和歌山・南部高校に通う上田氏は、髄膜炎という重い病気に罹った
当時彼は高校1年生であり、病状は深刻で、「1週間ほど40度を超える高熱が続いた」と述べている
髄膜炎は、脳や脊髄を包む膜が炎症を起こす疾患で、迅速な治療が必要となる危険な病気である
上田氏がこの病気にかかった際、彼の命が危ぶまれたため、彼は命の危機とも直面していたのである
驚くべきことに、彼は病気から回復した後、2年生の夏過ぎに南部・山崎繁雄監督から「アンダースローに変えてみろ」とアドバイスを受け、この転機が彼の野球人生を大きく変えることになる
このアンダースローとは、投手が腕を下げた状態でボールを投げるスタイルのことで、一般的には速球投手が多い中での独自のスタイルとして知られている
上田氏にとって、南部高1年の冬はただの病気の発症ではなく、その後の野球人生において重要な出来事となった
振り返ると、彼は練習中に異変を感じつつも、先輩の誘いに乗ってロングランを敢行したが、その後体調が急悪化したという
「最後の走りの時、頭痛や体の異常に気づかず、普通に練習していたがその結果、自分の意思とは裏腹に体が動かなかった」と振り返る上田氏
彼はその後、仲間の助けを借りて病院に運ばれ、そこで直ちに髄膜炎と診断され、「普通では考えられないほどの痛み」を体験したと告白した
この経験から、上田氏は人生の大切な教訓を得たようだ
「病気や困難があっても、諦めずに挑戦することが大事だと実感しました
」と語り、今も多くのファンに彼のストーリーは語り継がれている
上田二朗氏の体験は、病気を克服し、野球のキャリアを築く過程での大きな教訓を提供しています。困難に直面したとき、その体験が今後の人生やスポーツキャリアにどのように影響を与えるのか、彼のストーリーは多くの人々に勇気を与えています。
ネットの反応
上田二郎氏に関するコメントには、彼の病気や阪神とのつながりが中心に語られ、多くの阪神ファンや野球ファンの心情が反映されています
特に、上田氏の髄膜炎についての情報は多くの人に驚きを与え、病気の厳しさを実感させているようです
コメントの中には、上田氏がかつて西宮で入院していた時の体験を共有する読者もおり、同じ病気を経験した者同士の共感が見られました
上田氏の人柄についても、「非常に紳士的」との声が多く、彼の振る舞いや言動に対する称賛が目立っています
阪神ファンからは、背番号16への愛着や、彼がかつて出場した試合の思い出が語られ、阪神タイガースが全盛期ではなかった時の苦い記憶も交じっていました
このような思い出を通して、上田氏に対する愛情が強く表現されています
また、上田氏を「伝説の右腕」と称え、彼の投球スタイルに言及するコメントも多く見られ、彼が今もなお多くの人に影響を与えていることを示しています
最後に、多くのファンが上田氏の健康を祈る言葉を添えており、彼の今後の活躍を期待する気持ちが強く表れています
ネットコメントを一部抜粋
上田二郎、懐かしいですね。
何度かお会いしたことがありますが、この方は本当に紳士という言葉がピッタリの印象でした。
上田投手といえば巨人V9時代に阪神がこの試合に勝てば優勝というところで巨人と対戦しました。
昔の指導者は、口先の知識よりも経験値があった。
上田さん、懐かしいですね。小学校低学年のころ、野球を見始めました。
キーワード解説
- 髄膜炎とは?髄膜炎は、脳や脊髄を包む膜に炎症が起こる病気で、症状には高い熱、頭痛、吐き気、神経症状などがあります。早急な治療が求められ、放置すると命に関わることがあります。
- アンダースローとは?アンダースローは、投手が腕を水平もしくは下向きにしてボールを投げるスタイルです。通常のオーバースローとは異なり、重心を下げた投げ方が特徴で、特に変化球を投げる際に効果的です。