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吉田義男さんの「お別れの会」で多くの思い出が語られる

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プロ野球・阪神タイガースの名遊撃手であり、1985年には監督として球団初の日本一に導いた吉田義男さんの「お別れの会」が、2025年3月25日、大阪市北区のホテルで執り行われた

彼は今年2月3日に91歳で逝去した

会の参加者は約550人で、吉田さんの偉業と人柄をしのびながら別れの時を持った

お別れの会の構成

「お別れの会」は、2部構成で進行された

第1部では、左袖に喪章を付けたユニホーム姿の藤川球児監督をはじめとする1軍の選手たちやスタッフが集まり、吉田さんに対する追悼の意を表した

追悼の一環として、花を手向けるシーンが見られた

第2部では映像が上映

第2部では、吉田さんの生前に交流のあったOBや球団の首脳陣が集まり、冒頭に黙祷(もくとう)をささげた後、吉田さんの功績を紹介する映像が上映された

岡田彰布氏の感謝の言葉

吉田監督のもとでプレーし、現在はオーナー付顧問を務める岡田彰布氏も参加

体調が優れない中での参列となったが、「監督、大事なときに声が出ない

聞きづらいかも分かりませんが、聞いてください」と言葉を震わせながら、吉田監督の遺徳を偲んだ

甲子園の祭壇で追悼
祭壇は甲子園球場をイメージしており、黄色い菊の花でスタンドが表現され、観客が埋まった様子を彷彿とさせる演出が施されていた

吉田さんの教え子である掛布雅之OB会長も参加し、「吉田さんは野球界の土台を作ってくれた」とし、過去の思い出を振り返るにつれて感慨深い時間を過ごした

吉田義男さんのお別れの会は、彼の偉大な足跡を振り返る素晴らしい機会でした。多くの人が彼の影響を受け、感謝の気持ちを表す姿は、彼の人柄がいかに深かったかを物語っています。これからも「吉田イズム」が阪神に引き継がれていくことでしょう。
キーワード解説

  • 吉田義男とは?:プロ野球阪神タイガースの名遊撃手であり、監督としても活躍し、1985年に球団初の日本一に導いた人物。
  • 追悼とは?:亡くなった人を偲び、その功績や人柄をしのぶこと。
  • オーナー付顧問とは?:球団のオーナーに付随する形で、何らかの助言や指導を行う役職。

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