別格の存在感
1980年代、巨人戦のテレビ中継が黄金期を迎える中、特に輝いていたのが38歳でメジャー経験者のレジー・スミスです彼は1983年に巨人に入団し、すぐに圧倒的な存在感を示しました
スミスは、メジャー通算314本塁打を誇るスラッガーです
彼は巨人に在籍中、主に五番打者として原辰徳をサポートし、102試合に出場しました
263打数75安打の成績は物足りなく感じられるかもしれませんが、75本の安打のうち28本が本塁打という驚異的な数字でした
1985年には同じ外野手としてクロマティが加入しましたが、スミスはその存在感により、ダイナミックな打線を支えました
実際、彼の放つ長打は巨人に迫力を与え、特に1985年10月11日のヤクルト戦では3本塁打を記録しています
1年目の成績は見劣りするかもしれませんが、彼がチームにもたらした影響は数字以上のものでした
同じ年に助っ人として最多171本塁打を記録するクロマティが加入するも、スミスの存在と影響力は特別なものでした
その後、スミスは契約を延長しますが、怪我に悩まされ、最終年度は僅か84試合の出場となりました
それでも彼は231打数で17本の本塁打を記録し、なおも印象深い選手でした
スミスは引退後に「そのチームで2年間プレーできたことは、とても誇りに思う」と語っています
数字だけでは測れない、レジー・スミスの存在感と影響力は、今も日本の野球界に語り継がれています
レジー・スミスは巨人での2年間において、数字以上の存在感を示しました。特に若い打線を引っ張る役割を果たし、チームに大きな影響を与えました。彼の存在は助っ人外国人にとっても特別であり、今後の選手たちにとっての模範となるでしょう。
ネットの反応
コメントでは、スミス選手の巨人でのプレーに関する思い出や感謝の声が多く、また彼の特徴や活躍に関する述懐が目立ちました
例えば、スミス選手は1983年の伝説的な日本シリーズでの重要なプレーが思い出されており、特に中畑選手のサヨナラヒットを呼び込んだヒットや、クルーズ選手のサヨナラ3ランホームランを演出した四球が印象的だったというコメントがありました
さらに、「優勝を決めた試合のホームランは目を見張るものであった」との意見も集まり、彼の打撃力が強調されています
加えて、スミス選手が80年代に日本でプレーしていたころの思い出を語るユーザーも多く、特に「巨人は憧れだった」といった感情が伝わります
彼のスタイルや投げ方が記憶に残っているという意見や、彼のプレーを見て影響を受けた自分自身の経験を語る声もあり、スミス選手が多くの人に愛されていたことが読み取れます
また、スミス選手がメジャーリーグで多くの成功を収めてきた選手である点を強調するコメントも見られ、彼の実績が日本の野球ファンにどれだけ刻まれているかが伺えます
最後に、彼の年齢や体調を心配する声もあり、「いつまでもお元気で」という願いが込められたコメントも見受けられました
ネットコメントを一部抜粋
スミス選手はやくみつる氏の漫画では弱肩振りがいじられていたそうです。
レジースミス、ロイホワイトとか懐かしい。
優勝を決めた試合のバックスクリーン越えのホームランは企画越えだった。
レジー・スミス選手は平成初期に週刊モーニングに連載されていた「REGGIE」という野球漫画の主人公のレジー・フォスターの名前の由来になった選手として知られていますね!
自分の中では、とても印象的な打者。
キーワード解説
- 助っ人外国人とは?プロ野球において、外国から来た選手を指し、チームの戦力を補強する存在として重要です。
- 本塁打とは?野球における得点方法の一つで、バッターがボールを打ち、フェンスを超えることで得られる得点のことを指します。
- スイッチヒッターとは?両方の打席から打つことができる選手のことです。これにより、対戦する投手に応じて有利な打席に立つことができます。