享年90歳で、兵庫県高砂市出身である
小山さんは、阪神タイガースが1962年にリーグ優勝を果たす際に大きな貢献をした選手として知られる
小山さんのプロ野球キャリア
小山さんは1953年、高砂高から阪神にテスト入団し、投手としてのキャリアをスタートさせた彼は「針の穴を通す」と称される制球力を持ち、特にパームボールという変則的な球種を武器に、対戦チームを圧倒した
「天覧試合」とエースの活躍
1959年6月25日に行われた巨人戦の天覧試合では先発し、強豪チームを相手に圧倒的な存在感を示した1962年には13完封を記録し、自身のプレイだけでなく、エースとしての地位を確立した
特に、同年は村山実とのピッチングコンビでチームのリーグ優勝に導いた
世紀のトレードとその後
1964年に行われた大毎とのトレードで山内一弘と交換され、東京(現ロッテ)に移籍「世紀のトレード」と呼ばれるこの移籍は、プロ野球史に残る大きな出来事とされる
東京に移籍後の初年には30勝を挙げ、最多勝に輝くなど、両リーグで通算100勝を達成した
引退後の活動
小山さんは1973年に引退後、阪神の投手コーチを3度務め、西武やダイエーでもコーチとして活躍したまた、ラジオやテレビでの野球解説者としても親しまれ、ファンから多くの支持を受けていた
2001年には野球殿堂入りを果たしている
小山正明さんは1934年7月28日に生まれ、プロ野球においては阪神、東京、ロッテ、大洋でプレーし、通算856試合に登板した
彼の記録は今でも記憶に新しく、多くのファンに愛され続けている
小山正明さんの死去は、プロ野球界にとって非常に大きな損失です。彼の通算勝利数や奪三振記録は、今でも多くの選手が目指すべき目標であり、彼の存在がいかに特別だったかを物語っています。彼の引退後の活動も注目され、多くのファンに支持されていたので、彼の遺したものは非常に大きいものです。
ネットの反応
元阪神の小山正明さんが90歳で亡くなったというニュースに、多くの野球ファンや関係者が深い悲しみを表現しています
小山さんは、通算320勝と3159奪三振という偉大な記録を残した投手であり、プロ野球界において非常に多くの功績をあげました
彼を偲ぶコメントでは、特にその卓越した制球力や、キャリアを通じた投手の仕事に対する真摯な姿勢が多くの人に評価されています
コメントの中には、「小山さんは当時の野球界では精密機械と呼ばれるほど、抜群の制球力で知られていました」という意見もありました
小山さんは1985年に阪神が日本一になった際の投手コーチでもあり、その時の思い出や彼の指導が色濃く記憶に残っているファンも多いようです
さらに、「彼が右バッターに外角低めのストレートを投げた際、多くの打者が手をこまねいていたと聞きます」という具体的なエピソードもあります
他にも、「村山さんとのライバル意識が凄まじかった」といったエピソードや、「晩年は療養生活を送っていた」との情報も寄せられています
また、彼の記録は現代ではなかなか達成できないもので、偉大な投手としての影響を感じさせます
小山さんが名球会の一員として名を刻み、多くの若手選手に影響を与え続けたことも多くのコメントに表れています
皆さんが彼のご冥福を祈る気持ちが伝わってきます
ネットコメントを一部抜粋
当時は100〜120km/hが平均球速で、130km/hの後半が出れば速球派と呼ばれていました
歴代3位の320勝、3159奪三振と小山元投手は大投手でしたね、小山正明さんのご冥福をお祈り致します。
1985年阪神が日本一になった時の投手コーチでしたね。
もう1人名球会に加入しているメンバーが鬼籍入りするなんて……
村山さんとの世紀のトレード、今もあれ以上の大物交換は見たことないです。
キーワード解説
- 通算320勝とは?プロ野球選手が生涯に獲得した勝利数を示すもので、一流の投手でなければ達成できない記録です。
- 奪三振とは?投手が打者を strikeout(三振)にすることを指し、投手の能力を示す重要な指標の一つです。
- 制球力とは?投手が投球を狙った場所に正確に投げる能力のことで、これが高い選手は強いバッターも抑えやすいです。
- パームボールとは?投手が使う変則球で、通常のストレートとは異なる動きで打者を惑わすことができます。
- 野球殿堂とは?野球界に大きく貢献した選手や関係者を称えるための施設で、名選手が選ばれる場所として知られています。

