享年90歳
小山さんは「針の穴を通す」と称されるその抜群のコントロールを武器に、阪神タイガースのエースとして活躍し、320勝を挙げて歴代3位に名を連ねている
生い立ちとプロ入り
兵庫県出身の小山さんは、高校卒業後の1953年にテスト生として阪神に入団1年目には5勝を挙げ、その後の2年目には11勝を記録するなど、早くからその才能を開花させた
1958年には、3年連続で20勝以上をマークするなど、驚異的な成績を残した
名選手との関わり
特に62年には、同じくエースとして名を馳せた村山実投手とのコンビで27勝を挙げ、チームはリーグ優勝を果たしたこの年、小山さんはリーグ最多の270三振を奪い、さらには沢村賞を受賞するなど、その実力が広く認められた
移籍と後のキャリア
63年オフ、大毎(のちの東京オリックス)への「世紀のトレード」で移籍し、64年にはリーグ最多の30勝を記録した73年に大洋(現DeNA)に移籍して現役を引退した後も、阪神、西武、ダイエー(現ソフトバンク)でコーチとして指導に携わり、2001年には野球殿堂入りを果たした
生前の影響力
引退後も小山さんの影響力は計り知れず、数多くの若手選手たちにその技術と精神を伝授し、プロ野球界を支えてきたその存在は今のプロ野球界にも刻まれている
小山正明さんの死去は、プロ野球界にとって大きな損失である。彼の投手としての実績や技術は、後の世代の選手たちに多大な影響を与えた。コーチとしても若手選手の成長をサポートし、野球界からも惜しまれる存在だった。今後も彼の功績は語り継がれていくだろう。
ネットの反応
小山正明さんの死去に関するコメントには、ファンや関係者の深い悲しみと感謝の気持ちが込められています
彼は元阪神投手として知られ、320勝という偉大な業績を残しました
「鉄腕」と呼ばれた彼は、自己管理の徹底やタフな精神力があったのだろうとの推察が多く見られます
また、小山さんが他の選手たちとの交流を大切にしていたことも強調されており、特に「よっさん」との深い友情に言及するコメントもありました
対面でのイベントを楽しみにしていたファンも多く、彼がいかに多くの人に愛されていたかが伺えます
さらに、小山さんのキャリアに関する具体的な記録や逸話も取り上げられ、昭和37年の13完封記録や彼の精密な制球力に対する尊敬の声が多く集まりました
阪神に対する愛情が感じられるコメントも多く、小山さんの解説を聴いたファンからは懐かしさや恩恵を受けた思い出が語られています
また、近所で彼を見かけたという読者からは、一人の人間としての温かい交流の思い出が語られ、彼に対する誠実な感謝の気持ちが伝わります
全体として、多くの人々が小山さんへの敬意を表しながら、彼の功績と共に安らかな眠りを願っています
ネットコメントを一部抜粋
鉄腕は、人生も長い。
経歴凄すぎ(驚き)
阪神愛溢れる人だった。ご冥福をお祈りします。
コントロール抜群で、キャッチャーミットは全く動かなかった。
最近見かけなくなったから、体調が悪いのかなと心配していました。
キーワード解説
- コントロールとは?:投手がボールを的確に投げる能力のことを指し、試合での成功にとって非常に重要な要素である。
- 沢村賞とは?:日本プロ野球の優れた投手に贈られる賞で、特にシーズンでの成績が優れた選手に与えられる。
- 防御率とは?:投手が与えた失点の割合を示す指標で、低いほど優れた投手とされる。

