享年90
阪神タイガースや千葉ロッテマリーンズで主力投手として活躍した小山さんは、4月24日に阪神から病名を発表されました
小山さんは、兵庫県高砂市出身で、通算320勝、3159奪三振という驚異的な記録を持ち、歴代で3位の成績を誇ります
葬儀は家族葬として行われました
希代の投手の軌跡
小山さんは高砂高(兵庫)から、1953年にテスト生として阪神に入団しました身長183センチの大型右腕であり、その速球と「精密機械」と称された制球力により、早くから頭角を現しました
彼は村山実とともに阪神の主戦投手として活躍し、特に1962年には27勝11敗を記録し、セ・リーグ優勝に貢献しました
この年、彼は最高勝率と最多奪三振のタイトルを獲得し、沢村賞にも選ばれました
世紀の大トレード
1964年には大毎(現ロッテ)の山内一弘との1対1のトレードが行われ、「世紀の大トレード」と呼ばれる移籍劇がありました東京スタジアムを本拠地とするロッテに移籍後も彼は活躍を続け、年間30勝をマークして最多勝に輝きました
1970年にはパ・リーグでの100勝を達成し、プロ野球史上ただ一人、両リーグで100勝以上を記録した投手となりました
引退後の貢献
1973年に大洋(現DeNA)に移籍し、同年限りで現役を引退しました通算856試合に登板し、320勝、232敗、防御率2.45の成績を残しました
引退後は阪神、西武、ダイエーの投手コーチを歴任し、また解説者としても多くのファンに親しまれました
2001年には野球殿堂入りを果たし、阪神のレジェンドとして記憶される存在となりました
小山正明のプロフィール
- 名前
- 小山正明(こやま・まさあき)
- 生年月日
- 1934年7月28日
- 出身地
- 兵庫県高砂市
- プロ入り年
- 1953年
- 引退年
- 1973年
- 通算成績
- 通算856試合、320勝、232敗、防御率2.45
ネットの反応
元阪神の投手、小山正明さんが死去したことに対し、多くのファンや関係者から追悼の言葉が寄せられました
コメントの中には、小山さんの投手としての実績や記録に対する敬意が表現されており、特に320勝という偉業は評価されています
「いくら負けても使われ続けたのは、エースの証し」との意見もあり、彼が多くの試合でチームを支えたことが伺えます
また、両リーグでの100勝という記録は非常に珍しく、達成することが難しいとされ、特別な存在であったことを強調する声もありました
さらに、小山さんが試合を通じてどれだけの影響を与えたか、またその存在がどれほど大きかったのかが、多くのコメントから分かります
「昭和のスター選手が天国へいかれましたね」というように、昭和時代の偉大な選手としての思い出を語る人も多く、彼の記憶が今も色あせないことを示しています
小山さんが後輩選手や球界にどのような影響を持っていたかにも言及され、「ピッチングスタッフ」という表現からも、選手たちに対する深い愛情が伝わります
その他にも、小山さんを思い出す具体的なエピソードや思い出が語られ、彼との特別な瞬間を大切にしているファンの心情が垣間見えました
最後に、小山さんの功績を振り返りながら今後の阪神が彼に恥じないような活躍を期待する声もあり、彼をしのぶだけでなく、その遺志を継いで進むことが大切にされている様子が伝わります
全体として、小山正明さんの訃報は多くの人々に衝撃を与え、彼の懐かしい記憶と共に彼の偉業を後世に伝えていきたいという願いが込められたコメントが寄せられています
ネットコメントを一部抜粋
320勝もすごい記録だが232敗も、簡単には達成できないと思う。
吉田さんに続いて小山さんまで...
両リーグ100勝というのは、大杉選手の両リーグ1000本安打同様珍しいだけではなく、素晴らしい記録だと思う。
しばらくは喪章をつけての試合になるかな。
小山さんは、高砂市やないよ、明石市の二見町ですよ、市長やった泉さんとかは近所違うかな。
キーワード解説
- 心不全とは?心不全は心臓が十分に血液を送り出せない状態を指し、様々な心疾患が原因で起こることがあります。
- 制球力とは?制球力は投手が投げたボールの位置を正確にコントロールする能力のことを指し、優れた制球力を持つ投手は打者にとって非常に打ちづらい存在です。
- トレードとは?トレードは、異なるチーム間で選手を交換することを指し、プロスポーツにおいて選手の移籍手段として一般的です。
- 沢村賞とは?沢村賞は、日本プロ野球における優れた投手に贈られる賞で、特に年間成績が優秀な投手に与えられます。

