中日ドラゴンズ、立浪和義の鮮烈な新人時代を振り返る

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どんな名選手や大御所監督にもプロの世界での「始まりの1年」が存在する

その中には、鮮烈デビューを飾った選手、プロの壁にぶつかり苦戦した者、そして低評価をはね返した苦労人などがいる

ライターの中溝康隆氏が、かつて何者でもなかった男たちの駆け出しの物語を綴っている

「立浪、えぇやないか!」

中日ドラゴンズに入団した立浪和義選手は、入団1年目からその実力を見せつけた

週刊ベースボール1988年2月22日号では、中日の正岡真二内野守備コーチが「出足の一歩がものすごく速い

打球に対するカンが抜群」と立浪を評価している

立浪はPL学園の主将として甲子園で春夏連覇を達成した後、ドラフトでは当初南海からの1位指名が確実視されていたが、中日が立浪を1位指名することになった経緯があった

中日では、鈴木哲投手がプロ入りを拒否したため、立浪の指名に切り替えた

立浪自体は南海への感謝を持ちながらも、セ・リーグでプレーする気持ちが強かったという

元中日スカウトの中田宗男は、立浪のセンスを評価しつつも体力面での不安を持っていたが、星野仙一監督は立浪を獲りたがっていた

「立浪はいいですよ

守備だけならすぐ使えますが、南海が早うから1位で行くと言ってます」と中田が答えると、星野は「1位じゃないと獲れないのか

よしわかった

立浪、えぇやないか!」と返答したという

こうして、立浪は中日のショートにトレードマークとして名を刻むことになった

立浪の体格は173cmだったため、体力面に疑問がつきまとったが、星野は「男は体ではなく肝っ玉で大小が決まる」と彼を擁護した

そして、既に中日でプレーしていた宇野勝を二塁にコンバートし、立浪に遊撃のポジションを空けた

その後、立浪はベロビーチ・キャンプでの練習中に肩を痛めたが、それでも必死に練習を続け、開幕直前には一面記事で「スーパー天才児」と特集された

立浪の母は、息子が名古屋に行くことに心細さを感じつつも、彼が一人前になることを信じて送り出した様子が伺われる

これらのエピソードは、彼の成長を支える大きな力となった

立浪和義のプロ野球での足跡は、彼の俊敏なプレースタイルだけでなく、多くの人々の思いを背負ったものであった

立浪和義選手のデビューのエピソードは、プロ野球の厳しさや選手の成長過程を物語っている。ドラフトでの珍しい経緯や指導者の信頼がいかに選手を励ますかを示す良い例だ。立浪選手が若い頃から持っていた優れた才能が、周囲のサポートと共に成長を促していったことが伝わってくる。
キーワード解説

  • ドラフトとは?プロ野球選手を選抜するためにteamsが選手を指名する制度です。選手たちはこれを通じてプロの世界に飛び込みます。
  • コンバートとは?選手があるポジションから別のポジションに移ることを指します。チームの戦略や選手の特性によって行われます。
  • シーズンとは?プロ野球の試合が行われる期間のことを指します。この期間中、選手たちは各チームの一員としてプレーします。

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