荒木雅博氏と井端弘和氏、名コンビ「アライバ」のポジション変更の背景

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元中日選手、荒木雅博氏と井端弘和氏の“アライバ”二遊間コンビの秘密

元中日ドラゴンズの名内野手、荒木雅博氏(現:野球評論家)は、2010年にプロ15年目で二塁手から遊撃手にポジションを変更しました

この変更は、当時チームを指揮していた落合博満監督の意向により実現したもので、相手選手との関係性や試合戦略に大きな影響を与えました

荒木氏は井端弘和内野手との“アライバ二遊間コンビ”で知られ、その守備力と連携プレーで多くのファンを魅了してきました

ポジション変更に際し、荒木氏は「正直なところ、逃げたかった」と苦い笑いを浮かべましたが、実際には練習を重ねることでこの新しい役割を見事にこなしました

彼は、落合監督からの「右腕攻略」も実現させ、より一層その活躍が光りました

荒木氏と井端氏のポジション入れ替えは、もともとは2009年に計画されていましたが、荒木氏の開幕前の足の怪我と井端氏の不調によって実現しませんでした

「コンバート(ポジション変更)には怪我がつきもの」と荒木氏は振り返りますが、2009年シーズンでは二塁手として打率.270、2本塁打、38打点、37盗塁という成績を収め、6年連続でゴールデン・グラブ賞を受賞

落合監督は、アライバコンビのポジション変更を諦めず、2010年に再挑戦します

2010年の荒木氏は、開幕戦を足の怪我で出遅れたものの、9試合目に代打で出場し、そのまま遊撃手としてプレーしました

井端氏は開幕当初から遊撃手をつとめていましたが、開幕6試合目から二塁手に戻り、ついにアライバコンバートが成立しました

荒木氏は1997年に右肩を痛めたことがあり、それ以降この怪我がスローイングにも影響を及ぼしていましたが、水泳によるトレーニングで肩の痛みが軽減されたそうです

「肩甲骨周りが固まっていた」と荒木氏は述べ、水泳が彼に大きな助けを与えたことを明かしました

その結果、送り球も楽になり、新たなポジションでのプレーにも自信を持つことができたのです

しかし、遊撃手としてのプレーでは、動きのテンポが異なり、それに対応するために新たな課題が生まれてきました

落合監督の戦略的な思考が、彼らのコンバートにおける挑戦には大きな意味を持つものであったことが理解できます

荒木雅博氏と井端弘和氏のアライバコンビのポジション変更の歴史は、プロ野球界における重要な戦略の1つです。選手が新しい役割に適応し、両者の連携プレーが強化されることで、チーム全体が向上する可能性があります。荒木氏の怪我を克服したトレーニング法は、他の選手にも役立つ教訓となるでしょう。
キーワード解説

  • アライバとは?:荒木雅博選手と井端弘和選手の2人が形成した内野手のコンビ名で、守備力や連携プレーが称賛されました。
  • コンバートとは?:選手が別のポジションに変更することを指し、新しいポジションに適応するための技術や練習が必要です。
  • ゴールデン・グラブ賞とは?:野球で最も優れた守備選手に与えられる賞で、フィールディングスキルが評価されます。

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