プロ野球界の名伯楽、水谷実雄氏が心不全で死去

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元広島、阪急(現オリックス)で強打者として知られる水谷実雄(みずたに・じつお)氏が、2025年8月10日午後2時56分に兵庫県西宮市の病院で心不全により死去した

享年77歳

水谷氏は、引退後に広島、阪神、中日などでコーチを務め、多くの打者を育て上げた名伯楽として、球界に多大な影響を与えた

華々しい選手生活

水谷氏は宮崎商業高校でエース兼主力打者として1963年と1964年の夏の甲子園に出場し、名を馳せた

1965年の第1回プロ野球ドラフトで広島に4位指名を受けて入団し、入団2年目から打者に転向した

1970年から主力メンバーとして活躍し、1975年には広島の初優勝に貢献

1978年には打率.348で首位打者に輝くなど、赤ヘル打線の一翼を担った

トレードとその後の成果

1983年には阪急(現オリックス)にトレードされ、その年に打点王として114打点を記録するなど、打撃力を証明した

しかし、彼のキャリアは病気と怪我に悩まされることにもなった

特に入団1年目に腎臓病が発覚し、1984年には開幕戦で頭部に死球を受けるなどし、85年に現役引退を余儀なくされた

指導者としての道

引退後、水谷氏は阪急を皮切りに広島、近鉄、ダイエー(現ソフトバンク)、中日、阪神といった西日本の6球団で打撃コーチを務めた

彼の卓越した打撃理論と情熱的な指導方法によって、江藤智、前田智徳、中村紀洋、福留孝介、井上一樹など、多くの選手が強打者へと成長した

晩年とその影響
2012年には阪神のチーフ打撃コーチとして最後のユニフォームを着用し、福留選手の不振を克服させるために再生訓練を実施

2013年にはチームを2位へと導くが、打撃不振の責任を取る形で退団した

その後は直接的な球界との接点はなくなったが、近隣の少年野球の指導を続けるなど、野球界への支援を惜しまなかった

水谷氏はここ数年、さまざまな病を抱えており、特に心臓や視力に対する手術を受けていた

8月には体調が悪化し、10日に家族に見守られながら静かに息を引き取った

水谷氏の遺志は、彼自身が育てた選手たちに引き継がれていくことであろう

水谷実雄の経歴
生年月日 1947年11月19日
出身地 宮崎県
高校 宮崎商業高校
プロ入団 1965年 第1回ドラフト 4位
引退年 1985年
主な功績 1975年 初優勝、1978年 首位打者、1983年 打点王
水谷実雄氏の死去は、プロ野球界にとって大きな損失です。選手としてもコーチとしても彼が多大な影響を与えた選手たちが多く存在します。水谷氏の指導スタイルや打撃理論は、これからも語り継がれることでしょう。
キーワード解説

  • 心不全とは?心臓の機能が低下し、体に十分な血液を送れなくなる状態を指します。これが進行すると、生命に危険を及ぼすことがあります。
  • 打点王とは?シーズン中に最も多くの得点を生み出した打者に与えられるタイトルです。ランナーをホームに返す打撃の能力を示すもので、非常に重要な指標です。

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