日本人選手のメジャーリーグ挑戦と苦悩:山口俊選手の事例

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2025年のメジャーリーグ・スプリングトレーニングが開始され、多くの日本人選手が新たな挑戦をしようとしている

今季からは菅野智之、小笠原慎之介、佐々木朗希、青柳晃洋がMLBの舞台に立ち向かう

一方で、メジャーリーグには過去にNPB(日本プロ野球)で輝かしい成績を収めた選手たちも、渡米後に苦しんだ事例が少なくない

本記事では、その中から山口俊選手の経歴を深掘りし、メジャーリーグの壁について考察する

山口俊選手のプロフィール

山口俊選手は、1987年7月11日生まれの大分県出身の右投右打の投手である

彼はしっかりとした体格を持ち、身長187㎝、体重98㎏と恵まれている

彼のキャリアは2005年に横浜ベイスターズに入団したことから始まった

NPBでの成功

山口選手は、高卒4年目の2009年にリリーフとして頭角を現し、2010年にはクローザーとして2年連続で30セーブを達成

その後、2014年から先発投手に転向し、2016年には自身初の2桁勝利(11勝)を挙げるなど、成績が飛躍的に向上した

2019年には15勝4敗を記録し、最多勝、最高勝率、最多奪三振の三冠を獲得するほどの成績を収めた

メジャーリーグでの挑戦

その後、山口選手はポスティングシステムを利用してトロント・ブルージェイズにメジャー移籍

しかし、デビュー年には中継ぎとして開幕ロースター入りしながらも、成績は振るわず、17試合に登板した結果は2勝4敗、防御率8.06と不本意なものであった

翌年はDFA(Designated for Assignment)され、サンフランシスコ・ジャイアンツに契約するも、マイナーリーグでの成果を上げることができず、NPBに復帰した

復帰後の苦悩

NPBに戻ったものの、山口選手は復帰1年目において2勝8敗、防御率3.56と苦しい成績を残し、次の年は故障に見舞われわずか1試合の登板に終わった

最終的には戦力外通告を受け、2021シーズン限りで現役引退を表明した

山口俊選手のメジャーリーグ移籍は、多くの野球ファンにとって期待の星であった。しかし、彼が直面したメジャーの壁は想像以上に厳しく、非常に悔しい結果に終わった。これは、NPBでの成功が必ずしもメジャーでの成功に繋がらないことを示しており、人それぞれの挑戦が持つ難しさを教えてくれる事例である。
キーワード解説

  • NPBとは? 日本プロ野球の略で、日本国内のプロ野球リーグを指します。多くの才能ある選手が育ち、国際大会でも注目を集める存在です。
  • ポスティングシステムとは? 海外のメジャーリーグへ選手を移籍させるための制度で、選手が所属する球団と他球団との間で交渉権を移譲する仕組みです。
  • DFAとは? 選手を特定のロースターから外し、他のチームに取引されるか解雇されるかの選択を与える制度です。

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