元巨人の斎藤雅樹氏、野球人生を語る。記録の影には「他動的」な選手生活があった

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元巨人の投手、斎藤雅樹氏が「平成の大エース」として知られる背景には、多くの記録と苛烈なドラマが存在する

それらの経験を、今年還暦を迎えた斎藤氏がNumberWebのインタビューを通じて明かした

彼の野球人生は一見、栄光の連続に見えるが、その陰には彼自身の思い悩みと他人の影響が大きく絡んでいる

「他動的」な野球人生

斎藤は、巨人の監督藤田元司の指導によりサイドスローに転向し、その才を開花させた

しかし、次第に王貞治監督の厳しい起用法によって自信を失い、野手転向を考えるほど追い込まれた

そんな彼を救ったのは、元の恩師である藤田の復帰だった

1989年、藤田が再び監督に就任し、斎藤は先発投手としての役割を果たすことになる

この年、斎藤は伝説の「11試合連続完投勝利」を達成する

「優しすぎる」右腕

斎藤は先発の通知を受けたとき、「期待に応えられなかったらどうしよう」という不安でいっぱいだった

その初戦は3失点ながら、8回まで投げ切る結果を残し、チームも勝利を収めた

彼の気弱さや優しさが、時には成長の妨げとなったが、常に彼を支えていたのは藤田の存在だった

特にピンチの場面では、藤田からの叱咤が彼の背中を押していた

斎藤は「自分のケツは自分で拭け!」と叱られ、その言葉が彼の励みとなった

まとめ

斎藤雅樹氏の野球人生は、多くの他者の影響を受けながらも、自己成長を遂げた道のりと言える

彼の栄光の陰にあるドラマは、後輩選手たちにも大いに影響を与えることでしょう

斎藤雅樹氏のインタビューからは、成功だけでなく、多くの苦労や葛藤があったことがわかります。「他動的」と表現された彼の人生が、他者の影響を受けつつも、成長へとつながった瞬間には感動を覚えます。これからの選手たちにも、彼の経験は大きな指標になるでしょう。
ネットの反応

コメントからは、斎藤投手が巨人とロッテとの間でトレード寸前だったことに関する様々な意見が見受けられます

まず、ロッテが江川選手や原選手を要求していたという噂があり、そのトレードが実現していれば巨人は大成功を収めたかもしれないという意見があります

また、斎藤選手は「平成の大エース」と称されながらも180勝止まりで、その理由として当時の監督の完投へのこだわりが引き合いに出されています

斎藤選手はトレードが成立しなかったことによって、藤田監督との出会いが生まれ、その結果として彼の投球能力が最も引き出されたとする意見も多くあり、藤田監督の眼力を称賛するコメントが目立ちます

さらに、斎藤選手の130試合で69完投という驚異的な数字も注目され、現代野球とは比べ物にならない完投数だと指摘されています

斎藤選手がロッテにトレードされていた場合、平凡な選手になっていたという懸念も表明されており、巨人にいることで斎藤選手は真のエースとして成長したという意見が共感を呼んでいます

最後には、野球人生についてのタラレバ話も多く、もしトレードが成立していたら200勝を達成できていた可能性について考えるコメントもありました

これらの意見から、斎藤投手やトレードの経緯に対するファンの深い情熱が感じられます

ネットコメントを一部抜粋

  • ロッテは江川と原を要求した、という話もあるね。
  • 当時の監督が完投にこだわらなければ、もう少し投手寿命が伸びて勝ち星も増えたのでは。
  • 藤田監督の慧眼には恐れ入る。
  • 斎藤さんは高卒て入団して割と早い時期に二桁勝っているんですよね。
  • 運命ってどうなるか誰にもわからないですよね。
キーワード解説

  • サイドスローとは?投球時に腕を横に振り、その方向にボールを投げる投球スタイルで、通常のオーバーハンドよりも独特な弾道で打者を混乱させる。
  • 完投勝利とは?試合が終わるまで投手がマウンド上に留まり、最後までピッチングをし続けることによって得られる勝利のことで、投手の技量や体力が必要とされる。
  • ピンチとは?試合中に、特に守備側のチームが得点される危険が高まった状態を指し、選手たちがプレッシャーにさらされる瞬間を意味する。

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