記憶に残る巨人の背番号「15」の歴史

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メモリアルな試合において、プロ野球チーム・読売ジャイアンツの背番号「15」が特別な意味を持つことが再確認されました

最初にその栄光の歴史を彩ったのは、巨人の公式戦で初勝利を挙げた畑福俊英(はたふく としひで)投手です

1936年7月1日に開始したペナントレースで、初戦の名古屋戦では巨人のエース投手・沢村栄治(さわむら えいじ)が打たれて敗北しましたが、続く大東京戦(戸塚)に畑福が先発し、スタルヒンに救援を仰ぎつつも、10対1の快勝を収めました

この勝利は、巨人の球史において初めての勝ち星として記録され、永遠に残る一勝となりました

さらにもう一つの、背番号「15」に関連するメモリアルな出来事が1974年10月14日に舞台を後楽園球場に移します

この日は、名選手・長嶋茂雄(ながしま しげお)の引退試合でした

ダブルヘッダーの第2試合で、巨人は10対0で勝利を収めました

その試合の8回からマウンドに立ったのは、背番号「15」の横山忠夫(よこやま ただお)投手でした

確認された大量リードの中で、横山は何も記録に残らない投球を行ったものの、試合後の引退セレモニーは今もなお語り継がれています

「巨人軍は永久に不滅です」と長嶋が挨拶をする中、オーロラビジョンには横山の名前が表示され、感動的な瞬間が名シーンとして映像に残っています

横山はその瞬間を「私の大きな誇り、自慢です」と振り返ります

巨人の背番号「15」を持つ選手たちの歴史は、特別な意味を持っています。畑福俊英の初勝利や長嶋茂雄の引退試合という大切な瞬間が、チームの伝統とファンの思い出に深く根付いていることが分かります。このような歴史が現在の巨人を支えているのだと感じます。
キーワード解説

  • 畑福俊英とは? 1936年に活躍した投手で、巨人の公式戦において初めて勝利を挙げた選手。彼の一勝はチームの歴史において重要な記録として残る。
  • 長嶋茂雄とは? 日本のプロ野球界における名選手で、巨人の顔とも言われる存在。引退試合は多くのファンに感動を与えた。
  • 横山忠夫とは? 1970年代に活動した投手で、長嶋の引退試合での登板が特に注目されている。引退セレモニーの名場面に名を刻んだ。

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