そのホテルの社長、福本吉宗氏(56)は、長嶋茂雄さんの訃報に深い悲しみを抱いている
福本社長は「寂しい
信じられません
日本の宝が…」と語り、長嶋さんの優しさや人柄をしのんだ
ホテル竹園芦屋と長嶋茂雄さんの深い関係
長嶋茂雄さんは1956年から、このホテルに宿泊し続けたホテルは、当初は竹園旅館として営業を始め、阪神戦などで巨人が関西に来た際にチーム宿舎として利用されてきた
この長い歴史を支えてきた福本社長は、長嶋さんと初めて会った時の思い出を振り返る
震災の際の長嶋さんからの激励
特に印象深いのは、1995年の阪神淡路大震災の際だホテルは半壊するなど経営が厳しい状況に直面していたが、長嶋さんからの電話が支えとなった
「巨人軍が竹園に泊まらない年はない
最終戦の9月までに、間に合わせなさい」との言葉に、スタッフは激励を受け、突貫工事でホテルの再建を果たした
長嶋さんのスーパースターとしての存在感
また、2001年の長嶋さんの監督最後の試合では、ホテルの正面玄関に多くのファンが集まり、その様子からもスーパースターとしての存在感を強く感じたという福本社長は「外の整理が大変だった
ホントのスーパースターというのはこういうものだと思いました」と語り、長嶋さんの魅力を再確認した
最後の思い出と深い絆
福本社長が長嶋さんに会ったのは、2022年7月、自宅で転倒して入院する前だったその際、長嶋さんの健やかな笑顔が忘れられないと語る
長嶋さんと福本社長の叔母、梅田多美子さんとの関係も深く、食事に関する好みやプライベートでのエピソードも多く残っている
長嶋さんとの長い付き合いがあったが、実は2人での写真が1枚もなかったことが最後の会話の際には特に印象的だった
「もちろん、寂しいけど、なんかホッとしたというか」と多美子さんは複雑な心境を吐露した
長嶋茂雄さんの訃報は多くの人々に衝撃を与え、彼の人柄や思い出が再び注目されることとなった。特に、関西の宿泊施設での信頼関係や絆が深いエピソードには、長嶋さんの優しさが表れています。福本社長の語る思い出は、ファンのみならず、多くの人々に感動を与えるものです。
キーワード解説
- 長嶋茂雄とは?日本のプロ野球界を代表するスーパースターであり、巨人の名監督としても知られる。彼の人柄や功績は、選手だけでなく多くのファンに愛されている。
- 阪神淡路大震災とは?1995年に発生した大規模な地震で、神戸市を中心に巨大な被害をもたらした。この地震は日本の歴史においても特に記憶に残る事件の一つである。

