阪神タイガース初代主将・松木謙治郎の家族の思い出

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

阪神タイガース初代主将・松木謙治郎の家族の思い出

プロ野球の阪神タイガースの創設初年度、1936年に初代主将を務めた松木謙治郎氏の素顔や家庭での姿について、愛娘で振付師や歌手としても知られる濱田“Peco”美和子さんが語った

松木氏は、チームを「打倒・沢村栄治」のスローガンのもとに率い、その後も監督として多くの記録を残した

松木氏は、選手として1940年から選手兼任監督に就任し、戦時の従軍を経て、1950年に監督に復帰

歴代24位の通算628勝を挙げ、特に阪神指揮官としての460勝が際立つ成績だ

美和子さんは父の記憶を振り返り、「父はちょっと偉大すぎて、日常会話をちゃんとしていなかった」と語る

家庭ではお酒が好きで、時にはウイスキーを飲みながら陽気になる姿が印象深いという

また、美和子さんは自分が雨女であることを気にかけて、父が自ら“てるてる坊主”を演じてくれるエピソードも共有した

厳格な父親だが、おちゃめな一面も持っていたことが伺える

松木氏は家庭に仕事のことを持ち込まないポリシーを貫き、「父の職業を娯楽にしてはいけない」という家庭内のルールを守っていた

阪神監督時代には役職を辞したため、家庭でテレビ観戦をした記憶が少なかった

最晩年には、長時間の大手術を受けた後も、ユーモアを忘れない姿勢を保ち続けた松木氏

最後まで父らしさを感じさせる彼の生き様は、家族にとってかけがえのない思い出となっている

松木謙治郎氏の家庭での姿や思い出は、偉大なプロ野球選手でありながらも、家族を大切にする人間味あふれるものでした。特に、古い家庭のルールや、日常での優しさやユーモアは、松木氏の魅力を物語っています。家族が様々な思い出を大切にしている様子が伝わってきます。
キーワード解説

  • 初代主将とは?− 初代主将は、チームの最初のリーダーとして、選手を指揮し、団結を図る役割を持つ重要なポジションです。
  • プロ野球とは?− 日本のプロ野球は、NPB(日本プロフェッショナル野球組織)によって運営され、日本国内の野球チームが競い合うリーグです。
  • 選手兼任監督とは?− 選手兼任監督は、選手としてもプレーしながら同時に監督業を行うポジションで、チームの戦略を策定する責任を負っています。
  • 通算628勝とは?− 通算628勝は、松木氏が監督として通算して記録した勝利数を示しており、これが彼の指導者としての実力を証明しています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。