日本シリーズの歴史的瞬間、湯上谷竑志の苦悩と引退の決断

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 王貞治監督が率いる福岡ダイエーホークス(現ソフトバンク)は、1999年に続き、2000年も日本のプロ野球パ・リーグを制覇した

この年のセ・リーグ優勝チームは長嶋茂雄が監督を務める読売ジャイアンツ(巨人)であり、史上初めてのON対決が実現した日本シリーズは、まさに世紀の戦いとして多くの注目を浴びた

 現在、福岡市内でセラピストとして働く湯上谷竑志さん(59歳)は、巨人に王手を許した第6戦でスタメン出場したが、痛恨のミスを犯したことを今でも悔やんでいる

「結局、悪送球で終わってしまった」という彼の言葉には、当時の感情が色濃く残っている

世紀の対決とその裏側

 引退から25年が経った今でも、湯上谷さんの心に深く刻まれた思い出がある

日本シリーズの第6戦は、王ダイエーにとって勝利が求められる重要な試合であり、千万人以上が注目した

 当時、野球少年だった湯上谷さんは、故障に悩まされていた小久保選手の代わりに起用された

湯上谷さんは右肩の不調を抱えつつも、この大一番での出番が巡ってきた

痛恨のミスとその余波

 試合は3回、先発投手の永井智浩選手が同点打を許し、相手チームの清原和博選手が放った打球を湯上谷さんは捕球すべく猛然と突進した

しかし、体勢を崩しながらの送球は一塁に大きくそれてしまった

彼のそのプレーは、試合の流れを変えるきっかけとなり、直後に松井秀喜選手のホームランが出るなど、チームは敗北を喫した

感情の葛藤と引退の決断

 公式記録ではエラーはつかなかったものの、本人の中では「自分の送球はエラーだった」との思いが消えない

日本シリーズ後、球団からの戦力外通告が湯上谷さんのプロ野球人生を終わらせ、彼は長い間その心の痛みと向き合ってきた

湯上谷竑志のプロフィール
生年月日
1966年5月3日
出身地
富山県
経歴
石川・星稜高から1984年のドラフト2位で南海入団

通算成績
1242試合、打率258、141盗塁

職業
現在、福岡小笹店のセラピスト

 湯上谷竑志さんの話は、プロスポーツ選手にとっての勝負の厳しさや、その精神的な負担を教えてくれます。大事な試合でのミスは、選手本人にとっては非常に苦しい経験です。どれだけ過去の栄光があっても、一つのプレーがその選手の人生を大きく変えてしまうことがあるのだと感じました。
キーワード解説

  • 日本シリーズとは?プロ野球の日本一を決めるトーナメント戦で、セ・リーグとパ・リーグの優勝チームが対戦します。
  • 悪送球とは?守備の選手がボールを捕球後に故意または不注意で誤った送り先に投げるミスを指します。
  • スタメンとは?試合において初めから出場する選手のことを指します。
  • エラーとは?守備の選手が本来成功するはずのプレーに失敗し、その結果が得点につながった場合に記録されるミスのことです。

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