当時、彼は主将として春の東都大学野球リーグ、全日本大学選手権を制覇し、さらに日本代表の主将として日米大学野球選手権大会に出場した
その一方で、秋季リーグでは最下位となり、2部との入れ替え戦に挑むこととなった
熊野氏は「キャプテンをやっていたときが一番大変だった」としみじみ回顧した
アスリートとしての成長と苦労
熊野氏は中大1年生から4年生までのすべての試合に出場し、数々の怪我を抱えながらもチームを引っ張った「痛い、痛いと言いながら出ていました」と彼は語る
特に1979年は特別な年で、春季リーグと大学選手権で勝利を収めた年だ
「大学選手権で優勝したからキャプテンになったんですよ」と明かす彼は、当時の努力や仲間との絆を振り返った
日米大学野球選手権大会の主将として
日本代表の主将として参加した日米大学野球選手権大会では、日本が3勝4敗で終わる結果となった熊野氏は「最初は3連勝したが、その後4連敗した」と話し、特に対戦したハワイ大のデレク・タツノ投手の厳しさを語った
チームを支えたのは岡田彰布氏や原辰徳氏で、岡田氏は数度の本塁打を放った活躍を見せた
チームメイトとの思い出
熊野氏は、「岡田は別格の存在だった」としながらも、チームメイトの個性を楽しむ姿勢を持っていた「辰徳は社交的で、明るい性格だった」と語り、後輩たちとの交流がどれほど彼にとって貴重な経験であったかを明かした
全ての出来事が彼の成長に寄与したと感じているようだ
熊野輝光氏の中大時代の経験は、彼の成長に大きな影響を与えたことがよく分かる。主将としての成功だけでなく、苦労も含めた豊かな思い出が、彼のアスリートとしての人間性を形成している。チームメイトとの絆もその成長に欠かせない要素だったと考えると、彼にとって貴重な財産であったことが伺える。
キーワード解説
- 主将とは?:チームやグループのリーダーとして責任を持つ人のこと。選手たちをまとめ、戦略を組み立てる役割を担う。
- 大学選手権とは?:大学の野球チーム同士で行われる大会のこと。日本全国の大学から参加するため、非常に厳しい競争が繰り広げられる。
- 日米大学野球選手権大会とは?:日本とアメリカの大学野球チームが対戦する大会で、お互いのレベルを測る重要なイベントである。

