1984年、橘高氏はプロ野球選手としてのキャリアを終え、審判員になるチャンスが訪れた
当時、彼は「虎風荘」の寮長である梅本正之氏から「審判になれ」と促されるが、初めは即決できなかったという
バブル期の日本では、職業選択の幅が広がり、元プロ選手としての体力を生かして警察官や自衛隊などの職も提案されていた
中でも、強く記憶に残っているのはレンガ屋の仕事だったというが、具体的な内容は曖昧で、さまざまな職業を紹介されたことが印象に残っている
引退後はアルバイトをしながら進路を模索していた橘高氏に、梅本氏が再度電話をかけてきた
「とにかく面接に行け」と言われ、銀座にあるセ・リーグの事務所で面接を受けることになった
その際、彼の前に現れたのは広島カープの選手、上本孝一氏だった
上本氏もまた、同じく84年オフに引退しており、自ら希望して面接に臨んでいた
上本氏は、旧広島市民球場のブルペンで捕手として投手の球を受ける役割を果たしていた
彼がそうした経験から審判への道を模索していた中、橘高氏は自らの選択をじっくり考える時間を持っていた
互いに異なる動機がありながらも、最終的には双方が審判員として採用され、同期としての道を歩むことになる
このように、元プロ野球選手が審判員となり、新たなキャリアを切り開く姿は、今後のプロ野球界においても注目される存在となりそうだ
元プロ野球選手が審判員として新たな挑戦をする姿は、スポーツ界において興味深い事例です。橘高氏と上本氏の面接を通じて、それぞれの進路選択がどのように異なっていたかが浮き彫りになりました。異なる動機を持ちながらも、同じ道に進むことになった二人は、これからどのような影響を与えるのでしょうか。
キーワード解説
- 審判とは?プロ野球において、試合を運営しルールを厳守する役割を担っています。選手の活躍を見守るだけでなく、試合の流れを整える大切な存在です。
- ブルペンとは?ピッチャーが試合前に投球練習をするためのエリアを指します。リリーフピッチャーが試合中に登板するための準備をする場所でもあります。
- 引退とは?スポーツ選手が現役を辞めることを意味します。新たな進路を模索する選手が多く、次のキャリアに挑むきっかけとなることが一般的です。