元ロッテ捕手・袴田英利さん、69歳で死去。昭和の名バッテリーを支えた選手の功績

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2025年3月31日、元プロ野球選手であり、ロッテの捕手として活躍した袴田英利さんが、2月上旬に69歳で死去していたことが明らかになった

袴田さんの死去は、プロ野球界にとって大きな損失であると同時に、多くのファンや関係者に追悼の意を表されている

袴田さんのキャリアと功績

静岡県出身の袴田さんは、静岡自動車工業高等学校から法政大学に進学

その大学では、「昭和の怪物」と称された江川卓氏とのバッテリーを組み、東京6大学リーグでは5度の優勝を経験した

1977年、彼はドラフト1位でロッテに入団し、プロ入り後は捕手として通算911試合に出場し続けた

名バッテリーの誕生

袴田さんは、「マサカリ投法」として知られる村田兆治投手と名コンビを組むことで知られていた

村田投手が右ひじ手術から復帰した際、袴田さんは彼の初勝利をサポートした

この二人の連携は、多くの試合でプロ野球ファンの記憶に残るものとなった

引退後の指導者としての道

袴田さんは1990年に現役を引退後、ロッテでバッテリーコーチやスカウトとして選手の育成に努めた

さらに、2014年からは西武ライオンズでも同様に指導にあたった

彼の指導力は後進の選手たちに大いに影響を与えた

「離島甲子園」の署名
2022年に村田投手が他界した後、袴田さんは彼が提唱した全国の離島の中学生がトーナメントを行う「離島甲子園」を受け継いで運営していた

昨年7月には記者発表に出席し、村田さんの遺志を継ぎ、離島地域の野球振興に尽力する意を表明していた

袴田英利さんのプロフィール

生年月日 1955年8月13日
出身地 静岡市
現役期間 1977年 – 1990年
身長 174cm
体重 80kg
投打 右投げ右打ち
袴田英利さんの死去は、昭和の名選手たちの功績と、その伝統を支えた人物の喪失を意味します。彼の人生はプロ野球界に多くの影響を与えており、今後も語り継がれるべき存在です。
ネットの反応

元ロッテ捕手の袴田英利さんが69歳で死去したニュースに多くのファンや野球関係者がコメントを寄せています

袴田さんは村田兆治さんとの名バッテリーとして知られ、そのプレースタイルや人柄に魅了されたファンが多かったことが伺えます

コメントの中では、袴田さんが派手さは無いが、捕手として非常に信頼されていたことや、「フルタの法則」での特集で元気な姿を見ていたことが驚きになっているといった意見があります

また、彼のノーサインで村田さんのマサカリフォークを受け止める姿勢についても、多くの称賛の声があります

故村田兆治さんとの伝説的なコンビについては、「最高のバッテリー」との評価があり、彼抜きでは村田さんの偉大さを語ることができないとの意見も多いです

ファンたちが彼に対する愛情や感謝を表現する声が多数寄せられており、特に野球を愛する人々からの温かい追悼の気持ちが伝わってきます

袴田さんの死を悼むコメントが並び、彼の遺した歴史や功績がどれほど多くの人々に影響を与えたかが理解できます

彼の思い出を語る声は、今後も野球界に残り続けることでしょう

ネットコメントを一部抜粋

  • 決して派手なキャッチャーではなくて玄人好みの捕手でした。
  • 天国で村田兆治さんとバッテリー組んでほしいな〜、ご冥福をお祈り致します。
  • 村田兆治氏の偉大さは、袴田氏抜きには語れない。
  • ドカベンでもでていましたね袴田コーチとして。
  • 昭和期の名捕手だと思います。
キーワード解説

  • プロ野球とは?
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  • 盗塁阻止率とは?

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