中西太の青春時代と西鉄ライオンズの絆

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中西太の伝説と青春時代のエピソードを振り返る書籍が発売

要約すると昨年2023年に亡くなった元西鉄ライオンズの中西太さんについての書籍が発売され、その中で彼の伝説や素顔が紹介されています。

中西は「怪童」と呼ばれ、1956年の青春時代のエピソードが特に印象的です。

彼は、稲尾和久や仰木彬と同部屋になることが多く、彼らとの関係は非常に親しいものでした。

中西は、遠征先での楽しい思い出を振り返り、彼らが自分の財布をあてにして遊んでいたことを笑いながら語ります。

彼はお酒は付き合い程度で、夜遊びを楽しむ2人と比較して、自分は子どもだったと述懐しています。

中西のルーチンには素振りがあり、彼は眠れないと素振りを始めるほどの情熱を持っていました。

夏には素っ裸で素振りをすることもあったそうで、その姿はチーム内でも話題となり、監督がこっそり様子を見に来ることもあったとのこと。

稲尾は「寝るのが趣味」と言われながらも、中西の素振りの音に気を使う様子が描かれています。

中西はまた、麻雀をしている際に稲尾の寝言を聞きつけ、軽い冗談を交えながらもチームメイトとの和気あいあいとした関係を楽しんでいました。

西鉄ライオンズの黄金時代は、単なる野球の勝利だけでなく、選手たちの青春の思い出でもありました。

参考リンクhttps://news.yahoo.co.jp/articles/2e63e2aa7f396b01e75732602f558d7b0c641e81

ネットのコメント

コメントの内容では、中西太選手と稲尾選手の同室生活が1957年から始まり、当時の飲酒文化についても触れられていました。

昭和の時代は高校卒業後の酒やタバコが一般的であり、今の感覚とは異なるものでした。

特に、稲尾選手は20歳になった年に同室になったことが記されており、彼の若き日の思い出が語られていました。

また、当時の西鉄ライオンズの選手たちが若く、楽しそうに過ごしていた様子が伝わってきました。

黄金期の西鉄ライオンズについては、福岡出身のファンからの懐かしい思い出や親近感が表現されており、特に中西選手の練習熱心さや、彼が残した足型のエピソードが印象的でした。

さらに、稲尾選手の自伝に記されたクラブでのエピソードや、先輩たちとのやり取りも興味深く、若い頃の不摂生が寿命に影響するのではないかという考察もありました。

最後に、古き良き時代のライオンズOB会の活動が今も続いていることや、選手たちの偉業が称賛されていることが印象に残りました。

ネットコメントを一部抜粋

  • 稲尾の名誉のために付記するなら、中西との同室はプロ2年目からだった。

  • 昭和の時代は高校を卒業したら酒・タバコは当たり前だった。

  • 黄金期の西鉄ライオンズ、当時を知らない私は福岡出身の父からよく、その豪快さを聞かされていた。

  • わしは酒は付き合いだけだが、あいつらは夜の帝王だしね。

  • 中西さんの凄いところは実働わずか7年間で、ホームラン王5回、打点王3回、首位打者2回獲得している。

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