プロ野球界のレジェンド権藤博氏、波乱の野球人生を語る

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プロ野球の偉大な選手たちの功績や伝説を深く掘り下げる『プロ野球レジェン堂』にて、元プロ野球選手で名監督の権藤博氏が、その波乱に満ちた野球人生について語りました

権藤氏は、ルーキーイヤーに35勝を挙げ、最多勝、最優秀防御率、新人王、沢村賞を獲得するなど、輝かしい成績を残した選手ではありますが、そのキャリアは短命であったことも知られています

手作りボールが野球の原点

現在86歳の権藤氏は、1938年に佐賀県で生まれました

祖父が鉄道員であったため、家族は多くの場所に引っ越しながら生活していました

幼少期の権藤氏は、田んぼの中で毛糸と布を使って手作りのボールを作り、棒切れをバットとして遊んでいたと語りました

その音が野球への興味をかき立て、彼は中学校で野球部に参加することとなります

中学時代は内野手として活動し、特にピッチャー志望ではなかった権藤氏ですが、高校に進むと身長が伸び、周囲からピッチャーとしての実力を認められることとなります

しかし、当初はピッチャーには消極的で、ストライクを取ることができないと上級生からのプレッシャーを感じる日々を送っていました

権藤氏の高校時代、彼が通った鳥栖高校は甲子園出場を目指していたものの、1956年の夏には佐賀県大会準決勝で敗退し、夢は叶わぬままで終わったと述べています

彼のキャリアはその後、プロ入りしすぐに成功を収めましたが、登板過多の影響もあって短命に終わることになります

引退後は指導者としても活躍し、1998年には横浜(現・DeNA)を日本一に導いた名将としても知られています

今回のインタビューでは、彼自身の野球観や成長の過程について深く掘り下げられており、現在の選手たちにも多くの示唆を与える内容となっています

権藤氏のインタビューを通じて、彼の野球人生は決して順風満帆ではなく、葛藤と挑戦の連続であることがわかります。特に高校時代の経験は、後のプロ入りに大きく影響を与えたようです。昔ながらのアナログさを重視した彼の遊び方とともに、今の選手にもその原点を大切にしてほしいと感じます。
キーワード解説

  • 権藤博とは? 1956年から1960年まで活躍したプロ野球選手、指導者として名を馳せた。
  • 最多勝とは? プロ野球シーズンで最も勝利数の多い投手に与えられる称号。
  • 新人王とは? プロ野球でその年にデビューした選手の中で最も優れた成績を残した選手に贈られる賞。
  • 沢村賞とは? 日本プロ野球において年次で最も優れた投手に贈られる賞。

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