鹿取義隆、プロ野球を支えた中継ぎエースの軌跡

  • このエントリーをはてなブックマークに追加
2025年7月18日、プロ野球界において鹿取義隆氏の名は忘れられることがありません

ドラフト外で明治大学から西武ライオンズへ入団し、1989年までの11年間、背番号29を誇りに思ってプレーしました

中継ぎから抑えまでこなす多才さ

鹿取選手は、1979年の開幕戦で中継ぎとして登板し、プロ入り初年から38試合に出場しました

中継ぎとは、先発ピッチャーが投げ終わった後、試合を続けるために登板する投手を指します

彼はその年、3勝を挙げると同時に、82年と83年には先発投手としての役割も果たしました

サンチェとの強力リリーフ陣

1986年にはサンチェ選手が加入し、角三男選手と共に強力なリリーフ陣を形成しました

リリーフ陣とは、試合途中で投げるピッチャーのチームを指し、試合の流れを変える重要な役割を担います

1987年には抑えの切り札としてリーグ最多の63試合に登板し、その名は広まりました

「ピッチャー鹿取」の流行語

王監督から告げられる「ピッチャー鹿取」という呼びかけは、当時流行語としても話題となりました

彼は多忙な登板を続けながらも、ひたむきにマウンドに立ち続ける姿勢がファンの心を掴んだのです

サラリーマンの鑑と称された存在
1989年に流行したCMのフレーズ「24時間戦えますか」も彼の印象を強め、「29」を背負った姿は「サラリーマンの鑑」とまで言われました

鹿取選手の巨人での登板数466は、歴代7位という記録を打ち立てています

鹿取義隆選手のプロキャリアを振り返ると、彼がもたらした影響の大きさが実感できます。多様な役割を果たし続けた彼は、選手以上の存在感を持っていました。ファンにとって彼の姿は、野球界のヒーローそのものでした。
キーワード解説

  • 中継ぎとは?試合中に投げるピッチャーで、先発ピッチャーが交代した後に登場します。
  • リリーフ陣とは?試合中に先発ピッチャーの後に投げるピッチャーの集まりで、試合の流れを変える重要な役割を持っています。

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

SNSでもご購読できます。