西崎幸広の初年度秘話:地方大学からプロの第一歩へ

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どんな名選手や大御所監督にもプロの世界での「始まりの1年」がある

鮮烈デビューを飾った者、プロの壁にぶつかり苦戦をした者、低評価をはね返した苦労人まで――

まだ何者でもなかった男たちの駆け出しの物語をライターの中溝康隆氏がつづっている

地方大学からドラフト1位

「自らの手で存在を再アピール、愛工大・西崎は『地方の時代』の立役者」として週刊ベースボール1986年12月1日号に取り上げられた西崎幸広選手は、愛知工業大学の選手であり、第17回明治神宮野球大会で胴上げ投手としてその名を知られることとなった

彼は前年の神宮大会でも準優勝に導いた実力者であり、1986年4月12日の名古屋学院戦では、1試合23奪三振という日本新記録を樹立し、「尾張の奪三振マシーン」と称された

しかし、中央球界では愛知大学野球リーグの実力に懐疑的な声も多く、プロのスカウトも彼の真の力を測るのに苦労した

それでも、西崎はその実力を証明する

身長180cm、体重69kgの細身のエースは、4年時の神宮大会23イニングで25奪三振を達成

そして決勝では駒大相手に3安打完封勝利を収め、その活躍は「地方勢力の台頭の象徴」として評価されることになった

プロ入りへの道のり

愛工大での西崎は、夜間部に通いながら、午前中は航空写真の測量事務所で働く二足のわらじを履いていた

練習時間が限られる中で、鋭く変化するスライダーを武器に、愛知大学リーグ最多記録の37勝を挙げた

その一方で、1年時には父親の病気の影響で経済的な理由から中華料理店で住み込みで働くなどの苦労も抱えていた

1986年のドラフト会議では、日本ハムからの1位指名を受けたものの、当時はセ・リーグの試合ばかりがメディアで取り上げられていたため、パ・リーグについてはほとんど知識がなかった西崎は、プロ入りにも「日本ハムのことは、ほとんど知らない」と冷静に受け止めた

ドラフト直後のメディアインタビューでは、「プロでやる気持ちは変わりません

あとは条件次第」と語った

日本ハムはフロリダでの海外春季キャンプを予定しており、西崎もその魅力を感じていた

キャンプインの折に大石清投手コーチから「カミソリのようにキレる球だ」と絶賛され、彼の自信が高まる中でも周囲の心配に対して、「ボクは実戦に強いんです」と堂々と応えたという

西崎選手のプロ入り初年度の物語は、多くの苦労と努力の結晶だ。地方大学からのステップアップは容易ではなく、彼のように環境を逆境としてのみならずチャンスと捉える姿勢が印象的である。プロという舞台で求められるのは、実力はもちろん、精神的な強さも。また、彼の周囲の期待やプレッシャーにどう応えるかが、今後のキャリアにおいても重要な課題となるだろう。
キーワード解説

  • ドラフト:プロ野球選手を選ぶための選考会で、各球団が希望の選手を指名して契約交渉を行う。
  • 奪三振:ピッチャーがバッターを三振に取ることで、特に三振を多く奪うピッチャーは評価される。
  • ブルペン投球:試合に出る前のピッチャーが行う、投球練習のこと。チームのコーチが観察することもある。

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